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はじめての金曜日

もう見慣れた景色には戻れないような気がしたけど、
オレンジ色の車体はあっさりと新宿駅に到着した。
体によく馴染んだ騒音、人波、ネオン、食べもののにおい。
その中に身を浸したら、ようやく体の奥のほうから開放感がゆっくりと染み出てきた。
一週間が終わった。
いろんなことがあったけれど、とにかく社会人としての一週間はちゃんと越えられたんだ。
そう思ったら、研修中には自分を逆さまにして振ってみても
出てこなかった「自信」が、一粒、金曜日の夜の中に心細く転がり出た気がした。

社会にある規制や規則、規律なんかは、
個人を縛れるほどの力など全く持たず、
明確に存在しているそれらを、
自分の中をスルスル流れる血液みたいに
スマートに体内に取り込んで、自分の個性を発揮してゆけばよいだけの話だ。
それでも、新しいものを自分の中に取り込んで
力にしてゆくまでの慣れのプロセスは疲れるものだ。
移植された内臓を自分の一部として、
正常に機能させるための期間であるはずなのだけれど
一企業の従業員になるということは
同時に、自分が移植される側となり、他人の体内に根付くということでもあって
自由奔放な学生にとっては
それはそれは大変な努力と辛抱が必要とされる。

よくアクションムービーなんかで見る
赤外線アラームみたいな、引っかかるとものすごい音がするような
色んな緊張のコードが研修所内には張りめぐされているのに、
それらが全く存在しない新宿駅は、全然ちがうものが
肩をぶつけながらすれ違っていて、自分が前いたところは
こんなところだったのかと驚いた。

そのまま一人で東京タワーが見えるところまで
地下鉄に乗った。
様々な言葉や文化、肌の色や価値観が交差点を渡る
あのバラバラなスピードの中で、私も勝手に歩きたかった。
適当に入ったところで、カウンターの向こうでハイになってるお兄さんに
スミノフをもらって、一人であっという間に飲み干して
しばらく爆音の中で動く人たちを階段の上から眺めた。
みんな、うれしそうに目を細めながら金曜日の夜の中を泳いでいた。

真夜中を目処に、赤いドアを開けて外に出ると
ビルと雲の間から、霞んだ月が見えた。
この街にいる誰にも見つけられていないくらい
おぼろげなかったけれど、ちゃんとそこにあった。

新宿駅に戻り、自分の家に戻るために私電に乗り換えると
酔っ払ったおねえさんが乗ってきて
自分の前のつり革にようやくつかまる。
薄ピンク色のトレンチコートに、
全然色が合っていないビニール製のかばんを抱え
整っていない前歯の間からしきりにげっぷを漏らしている。
シャツの間の首が苦しそうだ。
しばらくすると、どう見ても銀行員にしか見えない男の人が乗ってきて
これ以上寄せられないくらい両眉の間に皺を寄せて
彼女を見つめる。
携帯を取り出して電話をする彼女。
「あ、お母さーん?あのさぁ、生田駅まで車で迎えにきてもらえないか
お父さんに聞いてみて。
タクシーつかまらないと思うから。
うん・・・うん・・・そう。生田駅。うん。ごめん、ありがと。
じゃああとでまた電話して。はぁーい。じゃあね。」
携帯についている鶴のストラップが揺れていた。


電車は遅れたJRからの乗り換え客を待つために
10分くらい遅れて、12時45分に新宿を出た。

12年後、私はどこにいるのか分からない。
仕事をしているかな。
結婚しているかな。
子供はいるかな。
日本にいるかな。
わからないけれど、私は終電から親に迎えを頼むような35歳にはならない。

車両を見渡すと、金曜日の終電は
社会で働く大人の疲れた顔でいっぱいで
自分も少しそんな表情で、彼らと同じ風景を共有していることが
少し苦く、少し誇らしく、くすぐったかった。


無人の横断歩道で律儀に色を変える信号に向かって
家まで歩いたら、散り始めた桜並木の間から
さっき見た月がもう少しクリアに見えた。
心細い三日月だったけれど、
やっぱりそれは確かにそこにあって、
初めての金曜日の夜をさり気なく褒めてくれていた。
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by akkohapp | 2006-04-08 14:16 | 花鳥風月