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<   2006年 01月 ( 4 )   > この月の画像一覧

EMO SPOT

最近知った言葉、
「EMO ROCK」
なに?EMOって??

調べてみたら、なんのことはない、
Emotional、の略でした。
ピアノの音をいれてみたり、の美メロに沿って
儚げな歌詞を織り込んでるロックをEMO ROCKというらしい。
ちゃんとタワレコとかにいくと
EMOのコーナーがある。

Emotionalじゃない音楽なんてあるのか?!とツッコミたいのは
ヤマヤマだが、本日のポイントはそこではない。
お題はEMO Spotである。
残念ながらエロスポットではない。


初めてそのサロンのドアを引いたのも、
水曜日だった。
夏だった。
台風の夜だった。

あの夏の夜からどんどん時間が流れて
髪の毛も伸びた。
マフラーを巻きなおして、コートの襟の中に首をすくめながら
すっかり変わった表参道を歩く。
そろそろドアを横に引いて、
あのぅ・・・予約もしてないんですケド・・・とフロントの人に伝えると、
あの夏の夜に髪の毛を切ってくれたおにいさんが
「あ、ひさしぶり」とすぐに出てきてくれて
「だいじょぶ、一月はあんまり混まないから」と言ってくれた。
その声の出し方を聞いただけで、きつく巻いたマフラーがちょっと緩んだ。

髪の毛を洗ってくれる人の手が、またすごい。
こんなに優しく、人のことを触れる手があるのかと思う。
こんなこと言ってらぁ、と笑ってはいけない。
マジだ。
あの白い紙っぺらみたいなやつを顔の上に載せられて、
まな板の上の鯉よりも無抵抗に
椅子の上の髪の毛洗われる人、になっていながら
なんか知らないけど、
その紙っぺらが震えちゃうんじゃないかと思うくらい感動・・いや、EMOってしまった。
泣きそうだった。
誰かに愛されることとか、触られることとか、
そういう感覚のことを思った。

7月の台風の夜にこのサロンに来て
髪の毛を切ってもらった翌日に
一緒に食事をした人と夏を一緒に過ごした。
夏の間中流れてたSadeの曲まで
ご丁寧に流れてきた。
聞くのは、夏ぶり。
彼が恋しい、というか、流れた時間や変わった風景が切なかった。

「うん、ここちょっと重いね」と言いながら
後ろ髪を切ってくれる。
髪の毛と、流れた時間が、
白いタイルの上にスルスル落ちていくのが見えた。


忘れているような感覚を、取り戻させるような場所とか人とか音、
色や匂いってきっとある。
そういうものには、懐かしいような、寂しいような、安心するような
そんな「気」がきっと流れていて、それに触れると
毎日の生活の中でないがしろにしている優しいきもちや
ちょっと弱い自分が顔をのぞかせる。

ドアを開けてくれるおにいさんの目を見ながらお礼を言って
またマフラーを巻きなおしてサロンを出た。



オリオン座が見える道を、一人で帰った。
髪の毛から良いにおいがした。
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by akkohapp | 2006-01-25 23:42 | 花鳥風月
大江健三郎の「飼育」に続いて、松本清張の「黒地の絵」を読む。両方とも戦争っていう暗い時間の流れの中で「日本人と黒人」(この並列関係は正確ではないけれど、実際本の中ではそういう描かれ方をしている)が交わるべきではない方法で交わってしまって生まれた悲劇を描く。
「日本人」(国籍による括り方は文明、civil societyの枠の中で人間を区別する)によって描写される「黒人(人種による括りは、より生物学的で、動物的に人間を分別する)」はとても動物的で、肉体的で、官能的で、それ以上のものは微塵も存在しない。「飼育」では、村民によって「飼われる」ことになったアメリカ黒人兵の様子が、まさに飼育対象として描かれる。子供の視点から描いていることもあって、その子供が飼育している「動物」の前で「屈辱を感じる」のくだりが、捕らわれた兵士の人間性が微塵も存在しないことをよく表していて残酷だった。ニコールキッドマンが出ていた”Dog Ville”も、放浪していた美しい女を村人たちが飼う話だったけれど、そこにはまだ破壊されてゆく彼女の人間性が存在していた。屈辱を受け、酷い仕打ちを受けるだけの人間性を彼女は最初から最後まで保持していた。人間性があるから、屈辱を受け、酷い仕打ちを受けるのだ。そういうものが最初から存在しなければ、「それ」はただ餌を与えられ、糞尿の始末をしてもらうだけのものであって、「それ」以上の何でもない。「それ」は決して「彼」にはなり得ない。

戦争は、敵の人間性を消去して、物体化したり、動物化することで続く集団殺戮だけど、それだって「敵」というだけの人間性を相手は持っているような気がする。残酷なことをして苦しませようとする行為は、相手が感情を持っていて苦しむことを知っているからすることであって、そこで人間性を肯定している。

けれど、「飼育」の中で村に飼育される兵士にはそんなものが一切ない。本国の彼の出身地はどこなのか、兄弟はいるのか、恋人がいたんじゃないか、名前は、年齢は・・・そんなレベルで消去されてるんじゃない。彼は笑うだけで「驚愕」され、苦しむだけで「凝視」される対象でしかない。ここまで人間性が抹消されている理由は、やはりどうしても人種に還元されることで、もしもこの兵士が白人だったら、村人はそれを「捕虜」として「彼」として捕らえたんだろうと思う。この兵士が黒人だったから、そこに人間として持っているものがあるはずがない、ことを前提に村に「飼われ」たのだ。

「黒地の絵」は人間性のレベルについては「飼育」よりもずっと上だろう。けれど、やはりその対象が「黒人」だという点で、相手を動物化して描写することが容易になっているのが見て取れる。平穏に夏の夕餉を過ごしていた夫婦の家に、まさに野獣のごとく押し入ったアメリカ黒人兵士に妻がレイプされるところから物語が始まる。これが白人兵だったら、あんなに動物的で肉体的な描写はないのではないだろうか。

二編を読んで強く感じたのは、言葉が分からないこと、コミュニケーションが取れないことは、人間性を奪い取るに致命的な点なんだということ。もちろん、言葉以外にも通じ合うことを隔てる壁はいくらだってある。同じ国民、同じ人種、同じ言葉をしゃべっていても、つながれないことは多々あるし、悲しい歴史の中では、そういう同じ箱の中でも人間性を無視した殺戮が繰り広げられてきた。けれど、肌の色が違う、体格が違う、髪の毛が違う、臭いが違う、そして言葉が違う「何か」が目の前にやってきたとき、人はそれを「人間」と認識しない。それは何か他の「動物」であって、決して自分と同じ標準に立ちえるものだと感じることはない。

・・・そんな時代がたった60年前だなんて、ショックだ。
「黒地の絵」の舞台は小倉だった。1950年7月11日に起きた250名の黒人兵の脱走に伴った実話だ。父の実家のすぐそばであることがさらにショックだ。祖父母は恐らくこの夜のことを知っているのではないか。そう考えると落ち込む。だって、私にとってもう肌の色はその人を少しも定義するものではなくて、言葉を使ってお互いが考えることや感じることを交換して、それ以外の当たり前が存在しないくらい、そんな日常の中にいるから。けれど、きっと祖父母の世代では認識の感覚は恐らくあのころと一緒で、肌の色はその人の位置付けを決定するのに重要な要素なんだろうから。そして、きっとその位置付けの標準は、戦争のころの記憶に強く交わってる。

一方で、Markのscreen messageが”they lynched a black man in Carolina and they got fuckin 6 years?! That’s fuc*ed!!”ってなってる。何が起きたの?って聞いたらthey tried to hang a black kid って言った後に、I don’t want to talk about it reallyって言ったからok, I understandって言って会話をやめた。

グローバル化がすすんで、人権やら権利やら確立されてるみたいな今の時代に私がこの作品を読むと泣き叫びたいくらいショックを受ける。そうやって時間は流れて人と人のつながり方はすごく変わってきてるのに、今のアメリカではまだ60年前と同じ憎悪がどこかに流れてて、そこだけ時間の流れから疎外されているみたい。環境が人を変えるのか、人が環境を変えるのか、分からないけど、21世紀を一緒に生きているメンバーの一員として、その時代の恩恵を受けてない人たちを心から不幸に思う。恩恵ばかり与えてくれる時代じゃないからこそ、その恩恵を受けていない人を残念に思う。
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by akkohapp | 2006-01-20 01:29 | race and ethnicity

Hotel Rwanda II

全くスケールが違うけれど、98年に起きたジャカルタでの暴動を思い出した。
市街地コタが焼かれて煙が上がってるよ、と友達が言うのに興奮して、
日本人学校に一晩閉じ込められた妹を迎えに行く際に父親が持っていった
出張者からのおみやげだった三笠山のどらやきを惜しみ、
深夜2時の臨時便で日本に緊急帰国することの非日常性を
心から楽しんだ私の記憶と、
ルワンダの惨状をオーバーラップさせるなんて到底不可能なことだ。
それでも、映画の冒頭に映し出された住み慣れた街が
市民によって破壊されてゆくことの恐怖、
平穏な日常の中では見えない暴力の影は、
自分の細胞の中で眠っていた記憶を呼び覚ました。
車が人波の中で立ち往生することの恐怖や、
外見や肌の色が違うから攻撃される可能性がある不穏は、
私も経験したことだったのだ、そういえば。

争いの種はそれぞれの紛争や暴動によって違うけれど、
紛争や暴動の根底には、いつも「フツーの市民」がいる。
加害者であり被害者である彼らだけど、
政治に利用されていることに気づかず、
調子に乗って石を投げたりナタを振り回したりしているうちに、血溜りの真ん中にいる。
教育がなくて、貧しい人が多い。
政治とは普段は無縁な彼らが、争いの火車に乗って子供の首を切り落とし、
妊婦の腹を割き、女をレイプするのは、インドネシアでもルワンダでも一緒だ。

人間の暗さを考える。


講演会終了後に、後ろに座っていた黒人の女性と話してみる。
驚いたことにルワンダ人だという。
英語にまったく訛りがなく、しぐさや装いが欧米風だったから、
海外で教育を受けたのかもしれない。
美しく、聡明な女性だった。

「映画に問題はなかったけれど、彼の言っていることにはずいぶん誤謬があると思う。
フツ政権がツチ政権に変わって、権力がシフトしただけだと言っていたけれど、
そんなことない。
10年の間にルワンダはずっとずっと良くなったのよ。
彼はベルギーに亡命したからルワンダの情勢を全然知らないのよ。
こうやって映画でお金を儲けて、世界各国を飛び回って講演会を何百回としてるけど、
自分の足元が見えていないわよ。歴史は複数ある。
一つの歴史にも常にいろんな『史実』があることを忘れちゃだめね。」

10年前彼女は何を見たのだろう。彼女は、フツなのか、ツチなのか、聞けなかった。

"I want you to take Hotel Rwanda as a wake-up call.
I want you to take a message from Hotel Rwanda,
and be a messenger.”

彼の舌の上をなめらかに滑りすぎているそのメッセージは、
無数の国の壇上で何百回と使われてきたものに違いない。
それでも、きっといい。

アフリカに何ができるのか、ではなくて、アフリカで何が起きているのか、
スペクタクルとしての残虐性を
安全で温かい「こちら側」から一方的に見るだけではなくて、
人々があの「暗黒大陸」と呼ばれた土の上で、
何に慈しみを感じ、何を見て美しいと思い、何を信じて生きているのか。
どんな音を聞き、どんな風をおいしいと思っているのか、
そんなことを共有することが、
手首にからまる色とりどりのゴムのバンドより強く、
アフリカと世界を結びつけることになるんじゃないだろうか。


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by akkohapp | 2006-01-06 23:28 | race and ethnicity

Hotel Rwanda I

顔が熱い。
電車の暗い窓ガラスに映った目は腫れぼったくて、頭がぼーっとする。
こんなに泣いたのはいつぶりだろう。

『ホテル・ルワンダ』の試写会は思ったよりもずっとインパクトが強くて、
上映時間のうち6割は泣いていたと思う。
感情から「泣く」というよりも、もっと生物的に目から水が漏れてくるかんじなのだ。
映像として目で見ているものが、脳に伝わって、いろいろ考えたりする前に、
目から勝手に涙がこぼれてきて仕方がなかった。

フツとツチを肌の色や身長、鼻の形で区分し、
それによって統治形態や社会制度が決定される。
私の中枢に一番訴える不正義のかたちだ。

妹を背中に負ぶいながら、フツ族の殺害者に訴えた女の子。
「お願い殺さないで、ツチをやめるから!」
ひとつの種族の根絶のために、
民族のアイデンティティーのかけら、
尊厳を粉々に打ち砕くことがジェノサイドの目的ならば、
その目的はもう完璧に達成されているのに、
ツチ族の子供たちは皆殺しにされていった。

94年、私は、世界は何をしていた?
一度でも、ルワンダでの惨状をオンタイムでテレビで見たことがあった?
新聞の隅に、その記事を認めたことがあった?
どうしてこんなに無知で生きていられるんだろう。
どのくらいのことを知らずに暮らしているんだろう。
突然足元が全部スカスカの虚構のように思えてきて怖くなる。
映画上映後に、物語の主人公であるポール・ルセサバギナ氏の講演があった。
ついさっきまでスクリーンの中で「スペクタクル」だった「殺害」が、
生身の人間の口から紡ぎだされる。

ジュースを作るためのバナナを入れておくために掘った穴の中に、
妻の親戚の死体が転がされていたこと。
「バナナジュースを作る」という日常の中の
小さくても温かい幸せが詰まるはずだった穴の中に、
冷たく横たわる死を見て、彼はどうやって正気を保つことができたのだろう。

「見渡す限り、死体の山で生きているものは何もありませんでした。
唯一生きていたのは犬で、遠くからでも犬が吠えているのが聞こえました。
死体に群がるために犬が争っているのが聞こえました。」
人間の記憶は奇妙なもので、信じられない光景を前にしたとき、
後々まで覚えているのはきっとその時に自分が着ていたシャツの柄だったり、
犬の鳴き声だったりするのだろう。

たった数時間の間にも、“kill”という言葉や、
殺された人々の数字の大きさにどんどん慣れてくる自分に気がつく。
「6人すべての孫が殺されて」と聞いても、その「6」にすでに感情が入らず、
ただ、数字上の情報としてしか吸収されなくなってくる。
たったこれだけの時間でも、「死」や「殺害」の音やイメージは会場を満たして、
私たちオーディエンスを飲み込んでゆく。
狂気が普通に、普通が狂気になった世界で、
どうやって彼は人間としての正しさや自分が信じるものを持ち続けていられたのだろう。

映画が世界各地で上映された昨年、氏は100を越える講演会を世界中で行ったという。
どの会場も3千人、4千人の人で埋まっており、
自分のメッセージにこんなに聞き入ってくれる人がいて嬉しかったと彼は言っていた。
多くの人が彼をモデルにした映画に涙し、彼の一語一句に聞き入ったことだろう。
実際に殺戮が行われ、
100万の命が毎日毎日隣人の手にするナタによって刻まれていたとき、
アメリカではヒップホップがオールドスクール全盛期を極め、
経済界はITバブルに沸き、
人々は温かい食卓を前にニュースをチラリと見ながら
”oh that’s horrible”と言っていただけなのに。

結局のところ、自分も含めて人々は「スペクタクル(見世物)」として
製造された惨酷性しか見たくないのかもしれないとふと思う。
ディズニーランドのホーンデッドマンションに行きたい心理も、
この映画を見たい心理も、根本のところは変わらないのかもしれない。

「私が一番悲しく、辛く感じたのは、
スーダンのダルフール紛争地帯の視察から帰る途中の機内でニュースを見たときです。
ニュースでは終戦60周年を機に、
アウシュビッツの悲劇を二度と繰り返さないと誓う記念会の
模様が取り上げられていました。
先進国各国の首相は”never”と”again”という二つの単語を繰り返し使って、
歴史から学ぶことの重要性を説いていました。
しかし、今私が見てきたダルフールの有様は、
94年に私がルワンダで体験したことそのままだったのです。
歴史から学んでいる人なぞ、誰もいないじゃないかという気持ちになりました。」
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by akkohapp | 2006-01-06 23:18 | race and ethnicity