カレンダー
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30

カテゴリ:NYC, USA( 10 )

オバマっくす

アメリカ大統領選挙が盛り上がっている。

メディアがこぞってとりあげるのは、民主党候補、
イリノイ出身のバラック・オバマ議員。

グローバルなバックグラウンドや、「変化」をスローガンに掲げた熱意あるキャンペーンで、
当初は予想だにされなかった支持率を得、
対抗馬のヒラリー・クリントン議員陣営をガケっぷちに追い込んでいる。

彼のスピーチを聞いていて、気がつくこと、
それは彼の話しぶりが政治家のそれというよりも
指導者のもののようだということ。
トップダウンの政策提示をするよりも、
この大きな変化の動きに、あなた方が必要だ、
これは私たちによる、私たちのための変化だ、と民衆に訴えかける彼に
公民権運動の先頭に立ったマーティン・ルーサー・キングの面影を重ねるのは
私だけではないだろう。

彼を見ていると、今ではズタボロに堕ちたアメリカの中に
かつて憧れた、若くて元気で前向きなアメリカを見る気がする。
単純かもしれないが、とにかく変化を、
今が満足ならないなら、それを変える、そして本当に変えてしまう、
そんな行動力やエっと目を見張るようなアメリカンミラクルを
肌の色や文化の違いを越えて、みんなが起こす・・・

初めてアメリカンスクールとやらに足を突っ込もうと決めた中学生のころは
きっとアメリカンスクールに行けば、国籍や外見の違いに関係なく
色んな友達ができて、ヘーイガイズ!と明るく笑い、ジーンズをはいてコーラを片手に
ショッピングモールに友達と映画を見に来る未来が手に入るだろうと思った。
そこには、差異を超えた自由と理解があり、違いこそを尊重しながら
ひとつ同じものを大切にする、桃源郷のような光が見える・・・・
ような気がした。

今思えばちゃんちゃら可笑しく、
もちろん、現実はそれにはるかに及ばず、結局言語コンプレックスに
悩まされ続けた3年間であっただけだった。
本場アメリカには、言語の壁以外にも、たった400年の歴史の中に
刻み込まれた人種間の葛藤や、新しい移民の流入により変わる社会構成、
広がる貧富の差に加え、国際テロや戦争という、
「ヘーイガイズ!+ジーンズ+コーラ+映画」論など
鼻息で吹っ飛ぶ問題が山積みだ。

が、それでもそんな中でも、あのバラバラで自分中心の軸が強い国民が
ひとつ共通のつかまるものを見つけ、ひとつの方向性を導きだそうとしている姿には
かつて私があれだけ憧れた
「ヘーイガイズ!+ジーンズ+コーラ+映画」の明るさが見える気がするのだ。

オバマは、生まれたころからコスモポリタンな環境で育てられているからだろう、
多様性の中で生きることをとても自然に、まるでそれを意識すらしていないかのように
体現しており、そのナチュラルさ、ニュートラルさこそが、
ヒラリーとの一番大きな違いであり、多くの若者を惹きつける点なのではないかと思う。
アメリカ人としてニューヨークに生まれても、既存のカテゴリーから抜け出すのは難しく
結局「~系アメリカ人」としての殻を破らずに生き、存在する多様なラインを
超えずに生きている人がほとんどだ。
その中でオバマは「アフリカ系アメリカ人」であることは全く全面に出さずに
どんなにアフリカ系からの支持率が高かろうと、中立的な立場から
統合された「変化」を説く。

これだけ多様化されたアメリカ社会の中で、
ひとつだけのグループに焦点を当てて政策を説くことは得策ではなく
バランスのとれた、そう、それこそ自然に体現されたような、
その人の人柄の中にこそ国民はアメリカの次なる時代を託したいのではないかと思う。

次は3月4日のテキサス・オハイオ戦。
しばらくCNNから目が離せない。
[PR]
by akkohapp | 2008-02-24 10:52 | NYC, USA
サブプライム問題という火種を抱えたアメリカクレジット市場の暴発は
世界中のマーケットに大きな影響を及ぼした。

日本国内の景気回復のあおりを受けて、4月からじりじりと
1万7千円台から8千円台へと上昇を続けていた日経平均は
8月17日の終値で15,723円をつけ、前日比-874円の大暴落、
紙面には「ITバブル崩壊以来の下げ幅」との見出しがおどる。
円は17日、一時ドル対比111円をつけ、一ヶ月前に122円で
ふぅふぅ言っていたのがバカのようだ。

18日にはFRBが公定歩合を急遽引き下げ、
市場の混乱はようやく収束に向かいそうだ。

ところで、今回の世界同時株安の発端となったサブプライム問題とは何だろうか。

プロパーの金利で貸し付けるプライムローンに対して
本来ならクレジットを付与できないような
低所得者に対しても、高金利で住宅ローンの貸付を行うのが
サブプライムローン(Subprime lending)である。

そもそも今回一連の市場混乱は、
高い金利で住宅ローンを借りていた所得の低い返済者が
返済不履行に陥り、それが顕著化したことが発端となった。

その結果この住宅ローンのリスクを抱え込んで
運用を行っていた多くのファンドが破綻に追い込まれたり
格付けを下げる結果となり、市場の混乱を招いた
と要約することができるだろう。

やれベアスターンズだ、BNPパリバだ、と
混乱の中にも何だかカッコイイ「金融機関」の名前が連なったが、
そもそもこの住宅ローン返済不履行に陥った「人」は誰なのだろう?

相変わらず市場にはイマイチ人間の顔が浮かんでこない。

少し調べてみれば、世界市場を震撼させたこの問題も、
根底にあるのは、アメリカの深い貧困と資本主義の根が絡まりであり、
そこには常に生々しい人間の顔があることがわかる。

サブプライムローンは当初の返済額を減少させることで
住宅の購入を容易くし、
1990年代の半ばにアメリカでの住宅ブームを加速させた。
しかし、この貸付は当初期間経過後に返済額が急増するので
一定の収入がない低所得層にとっては、極めてリスクの高いローンだった。
それでも、加熱する住宅ブームの中、移住して間もない移民や、
低所得層に対しても、クレジット格付けをほぼしない
No Doc Loan(書類審査のない貸付)が半ば強引に行われ、
その結果そもそも返済能力のない低所得層が返済不履行に陥ったり、
家を失ったりといった問題が浮上した。

wikipediaによると、かつてアメリカでは黒人貧困地域に対する
その一定区域に居住する人に対しては融資をしないと
いったような金融機関による差別が行われていたという。
これはそれらの金融機関が地図上でその地域を赤線で囲ったことから
レッドライニングと呼ばれ、公民権運動の際に先頭を切って是正された
項目の一つであるらしいが、今回はむしろこういった低所得層に対する
「貸し過ぎ」が一連の問題の根源となった。

このような低所得層に対する積極的な貸付を
Predatory lending=略奪的貸出と言うが、
お金を手に入れ、家を手に入れ、貧困から抜け出したと思った
人々がジリジリと返済不履行のプレッシャーに呑み込まれ、
ついには破産、家も失うといった「人生を略奪」される絵は
アメリカ社会の病理を描いているように思える。

トリステイトの金融を管理するFRBNYは
従来、大量のアフリカ系アメリカ人、ラティーノのスタッフを雇用し
ローンの負債者調査員として各州に派遣をしていたのだという。
これは負債者の多く、そして返済不履行者の多くが
黒人であったり、中南米からの移民であったりという背景があったから
とのことであるが、現在は調査員の数が負債者に対して全く追いつかないのだという。
Fedがこのクレジット市場に対する現状把握をできなかったということが
今回のクレジット市場へのダメージを拡大させたとの見方もある。

NYの地価はうなぎのぼり、もちろんNYを通勤圏内とする周辺州も
簡単に家を持つことができるような価格ではない。
そのさなか、アメリカン・ドリームに象徴される大きな家を持ち、
新たな一歩を踏み出そうと、
身を粉にして働いたかもしれない労働者や
事情のよく分からない外国人、
犯罪率の高い黒人居住区から抜け出し、子供たちの教育を
一から考え直そうと思った家族を「エサ」にした
アメリカの資本主義というPredator(ライオンなどの肉食動物)は
食べても食べてもお腹いっぱいにならない飢餓道に落ちた鬼のようでもある。

市場の混乱は、東京の暑さがひと段落ついたのと共に
落ち着きを取り戻すかもしれないが、
一度食われてしまった彼らの「家」は戻ることはない。
[PR]
by akkohapp | 2007-08-18 13:27 | NYC, USA

LOVEINGLISH 呼びかけ編

それぞれの言語には、それぞれのロマンスの度合いがあるらしい。

聞いたところによると、やはりスペイン語、フランス語、イタリア語あたりは
かなりロマンス度が高いとのことだ。
残念ながらこの3言語にしては、フランス語の「愛してる=じゅて~む」と
高校でフランス語をかじっていた妹がなぜかよくつぶやいていた「ささぺるおでん」という
もはや意味不明な二語以外、まったく話すことができないので
これらの言葉の愛深さについてお伝えすることはできない。

しかし、英語については少しだけ、この言葉をつかって
喜怒哀楽を表現をせねばならない場面を何度か繰り返すうちに、
僭越ながら多少なりとも、英語独特の親しいもの、日本語で愛っちゅ~と
ちょっとこそばい、そこんとこ表す表現も自然に会話に織り込むようになった。

今回取り上げたいのは、ズバリ、「呼びかけ」である。

「呼びかけ」

これは日常会話にかなり浸透度が高いため、普段は意識しにくいものだが
実はかなり奥深さがある。

日本の「呼びかけ」言葉のロマンス度はかなり低い。
サザエさんを例にとれば、マスオさんはサザエさんを「サザエ」と呼び、
それは波平が「サザエ~!」と呼ぶ、あるいはカツオが「サザエねぇさ~ん」と
呼ぶのにほぼ変わりはない。
波平にいたっては、フネのことを「かあさん」と呼ぶ始末である。

始末、と言ったって、これが日本の呼びかけ論である。
夫婦は名前で呼び合えれば上等、子どもが生まれてからも恋人の頃からのあだ名で
呼び合える夫婦は全夫婦像のうち、わずか30%に満たない
ような気がする。

そうや問屋が卸さないのが英語である。


まず日本人に馴染みのあるベタ路線第一線を歩むのが
"HONEY"
"DARLING"
何故か日本ではハニーが男性から女性への呼びかけ、ダーリンが女性から男性への
呼びかけとして使われることが多いが、ネイティブ的にはどちらがどちらに
呼びかけても良い。
しかし、この使用頻度というか、どんな人たちがどう使うかを具体的にイメージしてみると
あまり現代っ子たちの間ではメジャー選手ではない。
何故か私のイメージでは、白くて大きないかにもアメリカというかんじの家に住んでいる
70年代の白人カップル、とか、ちょっとおじいちゃんおばあちゃんっぽいにおいがするのだ。
言うならば一世代前のベテラン選手というところか。

この二選手よりも少し先行路線を走るのが
"SWEETIE"
この子とはよくお目にかかる。
街角で、お店で、学校で、郵便局で・・・
ありとあらゆるところで、幅広い年齢と人種、性別に関係なく人気者のようだ。

レジでおつりを受け取り忘れてそのまま立ち去ろうとすると
「ちょっとSWEETIE!あなたオツリ忘れてるわよ!」
学校で先生にミーティングの予約を取りに行けば
「ええ3時で大丈夫よSWEETIE」
もちろん恋人たちの間でも常套呼びかけ句として使われる。


続いて登場するのがBeautiful, Gorgeous, Handsome, Sexy軍団。
こちらの選手団はそのままやんけ外見形容詞群であるが
なかなか登用度、ロマンス度は高い。

街中で新しく可愛い服を着て歩いていると
「へ~いBEAUTIFUL、その服似合ってるよ~。」
女友達へのメールの書き出し、
「ハーイGORGEOUS,元気?」
愛しい夫を起こすとき、
「おはようHANDSOME、もう朝よ」
こちらの選手団は少し登用方法が難しいかもしれない。
以下すべて、セクシュアリティがストレートの場合の使用方法だが
なかなか複雑である。
BEAUTIFUL 女→女◎ 男→女◎ 女→男?
GORGEOUS 女→女◎ 男→女◎ 女→男?
HANDSOME 女→男◎
SEXY 男→女◎ 女→男◎ 女→女◎
これを誤って使うと、途端に自分のスコープ圏外のセクシュアリティを持つ人からも
アプローチを受けることになる。


ロマンス的登用度が最も高いのが
Baby, Babe, Babes等の赤ちゃん軍団。
「今日からあなたは私のBabyね」
「今日も素敵さBaby」
といった具合に、かなりロマンス的要素を包括するカップルのみに
使用が許されるこの言語、
Babe[ベイブ]と使うとよりこなれた感、
Babes[ベイブス]となぜ終わりにSを付けるのか全く持って意味不明であるが
なんとなくこちらも上級選手的サウンドが否めない。
また、Love, My Love等、こちらのラブラブ系も
先頭走者群を肩を並べて走る。そう、Lは大文字なのがポイントである。

さらに円熟系を行くのがDear, My Dear。
ここまで呼んでもらえるならば、もう行き着いたも同然である。
ゴールは近く、24時間テレビではそろそろZARDの曲が流れ出す。
友達なり、恋人なり、夫婦なり、どことなく深め合った結果の
あたたかく、柔らかな光がぽぅっと漂うようなその響きに
一種の憧夢さえ抱く、お~いぇすMy Dear...(エコー)

市内マラソンなんかではいつも最後に必ずコテコテに仮装した輩なんかが
大手を振ってゴールをし、みんなが拍手喝采、いや~今日も
良い走りが見られたね、なんつって笑顔で家路に着くものだが、
そんなかんじが番外編。
Cutie Honey Chocolate Sweet Pie with Whipped Cream with Cherry on the Icecreamとか、My Icecream Sundae with Chocolate Syrup and Honeyとか、My Lovely Hotdog with Super Deilcious Long Sausageとか、
あ、すみません、途中から中国並みに捏造しましたが、別にエッチなことを考えていたわけでは全然なくて、そんなんじゃなくって。





---------------------------------------------------------------------------------------
人種番外編では何故かラップの曲なんかには女の子をSHORTIEと
表現したりすることがよくある。
これは男の人から見て大抵女の子の方が小さいから、ということらしいが
なぜそんな風に言うのかと聞いた男の子の友達が自分よりも背が低かったので
非常に気まずい思いをした。

最近ではヒップホップの音楽で女性をBITCHとかHO(売春婦)
などと呼ぶような内容の曲が多く、ヒップホップの巨匠たちは
そんな空っぽになってしまったヒップホップ界の現状を嘆いている。
[PR]
by akkohapp | 2007-08-05 23:04 | NYC, USA
アメリカのオハイオ州の片田舎で6月に起きた妊婦失踪事件
事件発生から約一週間で最悪の結果と共に幕を下ろした。

26歳であった被害者のジェシー・デイビスは
失踪当時妊娠9ヶ月で、報道機関は一斉に
"Missing Mom"の事件の追報をBreaking Newsとして報道し続けた。

未婚であった彼女には、既に事件発生当時2歳の息子がいたが、
唯一の事件目撃者であった彼が
"Mommy is crying." (ママは泣いている)
"Mommy is in the rug." (ママは絨毯にくるまれている)
とだけ繰り返し語ったこと、
そしてかなりの数の地元住民がボランティアとしてジェシー発見のための
捜査に加わったことが、マスコミに大きく取り上げられた。

結局、1週間後、彼女のボーイフレンドであった
ボビー・カッツが殺人容疑で、
またボビーの高校時代からの友人、
ミーシャ・ファレルが死体遺棄容疑で逮捕された。

私が驚いたことは、事件発生直後からテレビに出ずっぱりであった
被害者家族の会見である。

日本なら、被害者家族はなるべくマスコミから顔を隠し
容赦なく照らしつけるカメラのフラッシュや
インターホンの嵐に耐え、世間から自らを隔離しようと
必死になるところである。

ところが、この被害者女性の家族、特にその母親のプレゼンスたるもの
ものすごいものがあった。
捜査の途中も、我が娘がどれだけ素晴らしいか、
どれだけ正しい道を歩んできたかを堂々とテレビカメラの前で語り
日に日に疲労がたまる顔のまま、毎日毎日全米に映される画面の中に姿を現した。
そして、いざ遺体が発見された後も、夫、被害者の妹と共に3人で記者会見に臨み
自分の心情について、とうとうと語った。

「あの子は、ただ毎日を普通に過ごしていました。
思い出すことは、あの子が仕事を終えて、彼女の息子を保育園からピックアップして
家へ戻ってきてから・・・そう、そんな何気ない一日の終わりに
テレビの前で足をパタパタさせながら、その日あったことを笑いながら
話す姿・・・そして明日も早いからといって9時には寝てしまうような
そんなあの子の姿です。
そんな自分の子が・・・あぁ、ごみ置き場のところであの子が着ていた
モヘアセーターのピンク色を見つけた時の気持ちといったら・・・
表現することなどとてもできません。」

時折嗚咽しながら、とても表現豊かに遺体で発見された娘の事を語る
被害者の母親の姿に、私は唖然としていた。

そんな被害者家族の姿を、日本のテレビの中で見るのはまず不可能な話である。

「容疑者としてボビー・カッツ・ジュニアが逮捕されましたが
どう思われますか。あなたは最初から彼が犯人だと思っていましたか」
という記者の問いには
「私は彼が犯人ではないことを祈っていました。
このような結果となってしまったことはとても残念です。
私はただ神を信じ、神が正しい審判を下してくださると信じています」
と強い口調で答えた。


様々な記者からの問いに、自分の言葉で答えるこの母親の姿に
私は最初とても心を打たれていたが、次第に混乱してきた。
我が子の死体が発見されたその日に、こうして大勢の人の前で
その心情をとうとうと語れる母親の気持ちを、
自分の中で投影できていないと気づいたからだ。
自分の中でもまだ混乱し、大きなショックを受けていながら
「世間」にどんな言葉を発することができるというのか。

しかし、don't give a damn to 「世間」、あたしにゃあたしの言い分があるのよ!
というアメリカ的マインドがあってこそ、こういう記者会見ができるのかと思うと
その堂々とした姿勢に感心をする一方、
どこか敏感さがないようなアメリカ的ナイーブさに驚かされた。

後になって知ったが、アメリカではこうして被害者が捜査の全面に出てくることは
当たり前のことだという。
皆それぞれ思うこと、感じる事をそのままに伝え、涙を流し、
カメラは恐れるものではなく、使うものなのだという。
メディアを通じて捜査が発展することもあれば、錯綜することもあるが
大切なことは、あれだけ大きな国土の中で、
より多くの人の注意を引き付けることなのだろう。

これは少し極端な見方だと思うが、
事件の凄惨さや残酷性を是非本として出版しましょうという話や
映画にして後世に残しましょうという話が方々から飛んできて
お金持ちになれるから、という意見もあった。

悲しみまでにも資本主義が根を張る国である。
いや、混乱の中にあまりにも理不尽な悲しみが多いからこそ
せめて金くらいとってやる!という気持ちになるのかもしれないが。

アメリカである。
[PR]
by akkohapp | 2007-07-29 20:57 | NYC, USA
バージニア工科大学で起きた無差別射殺事件は、アメリカ社会に大きな衝撃を与えた。
半分時間が止まっているようなバージニアの片田舎で起きた悲惨な事件に胸が痛む。
アメリカの学生の多くが登録しているSNS、フェイスブックでは
瞬時に個人のプロフィール写真が「VT」(Virginia Tech)の文字に
黒いリボンがあしらわれた犠牲者への追悼マークに変わり、
様々なコミュニティーで追悼集会が行われている。
9・11後、アメリカ社会はこうして瞬時に痛みを共感し、
慰めあう精神が高まったように思う。

32人を殺害した容疑者は、
NBCに送ったビデオレターの中で煮えたぎるような怒りと絶望感、
そして孤独をあらわにしている。

「お前たちは屈辱される気持ちが判るか。
十字架の上にはりつけにされて、お前たちの享楽の為に血を流す苦しみが判るか。
お前たちは人生のうちでそんな苦しみのひとかけらさえも味わわなくていい。」

92年にアメリカにやってきたたった23歳の韓国人の若者が
内に抱えていたものは何だったのか。
32人を殺害するまでに彼を駆り立てた怒りの元はどこにあったのか。

深淵からその暗黒の底を覗き込むことなど到底できないと思うが、
常に劣等感を抱えながら、ネイティブスピーカーの同級生と距離を感じながら
高校生活を過ごした自分には全くの異質なものとしては捉えられないような気がする。

スポーツが得意な学生が人気を集める、
男女のつきあいかた、距離感に違いがある、
英語が母国語ではない、
授業の中で思うことを思うように伝えられない、
日本人コミュニティーの中にある閉塞した人間関係、
例を挙げればキリがない。
自分の存在感を失うこと、存在意義だなんて難しいことでなくてよいけれど
やはり自分が自分だけが持っていると信じる個性を発揮できない場所で
長く生活することを通じて、どれだけ自分に対する信頼を失っただろう。
そんなちっぽけなことに言い訳を探して、真正面勝負を挑むことすら考えずに
高校時代はひたすら負け犬、loserだったと思う。

それでも私には私をそのまま受け入れてくれる数少ない場所があり、
そこでダラダラ鼻水を流して泣けたことが、自分を救ったのだと思う。

今回の事件を引き起こした容疑者は、
英語もネイティブ並みに話せているし、長いアメリカ生活の中で
アメリカの生活習慣や文化にもかなり順応していただろう。
しかし、その長い時間の中で自分を自分として、
男性として、
韓国の歴史や文化を持つ韓国人の一面や、
その感性や人間性を
理解し受け入れてくれる土壌を見つけられなかったのだろう。

その一方で、アメリカ社会の底辺を常に流れる下水道のような
人種差別や拡大する貧富の差が
個人の中ではもはや飼いならすことができないような怒りをつくり、
それが彼を殺戮犯というモンスターに変えてしまったのかもしれない。

外国人であるところ、
女性から男性として認識されなかったところ、
社会への不満や怒り、
そして閉鎖された学校社会、
要因として挙げられる要素は多くあるが
私にはこの事件が、ただ女性にトチ狂った若者の暴走であるとは捉えられない。

その影には、異国の地で自分と違う文化と対峙しながら、
必死に自分を確立しようともがくたくさんの若者の孤独が見えるような気がする。


どのような理由にせよ、多数の無辜の命を奪った罪は許されない。
犠牲者のご冥福を心からお祈りいたします。
[PR]
by akkohapp | 2007-04-18 23:52 | NYC, USA

ウンニョーク

NYに着く。
揺れすぎのRed Lineに乗って116丁目で下車。
Lenox Ave.を買ったばっかりのCDを聞きながら
120丁目に向かって歩く。
まだアーティスト名も覚えてない。

119丁目を越えたあたりで、犬のウンコを思いっきり踏む。
ものすごい悪臭につきまとわれ、泣きたくなる。
ウンが付いたとか言っている場合ではない。
戌年の私は匂いにウルサいのだ。
臭いのはマジで勘弁だ。

アキツさんに会うも、
開口一番
「ウンコ踏みました。」

こんな無礼な客も温かく迎えてくれたアキツさん。
ハーレムのど真ん中で、
可愛らしい小物と、カラフルなTシャツに囲まれた彼女は
ものすごーくキュートに見えた。
キュートとか生意気に形容してしまうのもいかがなものかと思うけど
そのキュートさの中にも、タフに生きてゆく人間のしなやかさが見えて
まぶしかった。


今回のNYはすごく寂しい。
いつも一人のNYだったはずなのに、
DCでいつも友達や学生に囲まれていたせいか、
孤独が自分の中で強調されて寂しい。
こんなにたくさん人がいる街なのに、
自分は一人なんだなぁと思ってしまった。
メールをする人も、ハガキを書く人も特にいない。
夜のエンパイヤーは緑色に光って、雲の中にてっぺんを隠している。
タイムズスクエア周辺は、相変わらず100言語くらいで溢れていて
ストリートには土産物屋台が並ぶ。
金曜日の夜をリムジンが駆け抜け、着飾った金髪の女の子たちが
窓から身を乗り出して絶叫している。

今回のNY訪問で初めて
人が多すぎる、
多様性が過ぎる、
とついに思ってしまった。
一人でいるからかもしれない。
このごたまぜモツ煮込みみたいな街の中で
一人で行方知らずになっても、
誰も自分のことを探しようがないだろうなぁと
つまらないことを思ったりする。

一人を考えさせる街。
一人の街。
こんなに寂しい街を
他に知らない。

On Broadway
About me young and careless feet
Linger along the garish street;
Above, a hundred shouting signs
Shed down their fantastic glow
Upon the merry crowd and lines
Of moving carriages below.
Oh wonderful is Broadway -Only
My heart, my heart is lonely.

Desire naked, linked with Passion,
Goes strutting by in brazen fashion;
From playhouse, cabaret and inn
The rainbow lights of Broadway blaze
All gay without, all glad within.
As in a dream I stand and gaze
At Broadway, shining Broadway -only
My heart, my heart is lonely.

Claude McKay
[PR]
by akkohapp | 2005-09-17 20:02 | NYC, USA

The Tropics in New York


Bananas ripe and green, and gingerroot,
Cocoa in pods and alligator pears,
And tangerines and mangoes and grapefruit,
Fit for the highest prize at parish fairs,

Set in the window, bringing memories
Of fruit trees laden by low-singing rills,
And dewy dawns, and mystical blue skies
In benediction over nunlike hills.

My eyes grew dim, and I could no more gaze;
A wave of longing through my body swept,
And, hungry for the old, familiar ways,
I turned aside and bowed my head and wept.



Claude McKay
[PR]
by akkohapp | 2005-06-11 14:42 | NYC, USA

Keys in New York

Usher と Alicia Keysが歌ってる"My boo"とゆーベタな流行り曲、
なんか好きで最近よく聞いてる。
UsherとBeyonceのバージョンもあるんだけど
Alicia Keysとゆーところがポイント。

BSでやってたAmerican Music Awardで二人が歌うのが
やたらセクシーで可愛かったから、
Yahoo LaunchでPVを見てみたらやっぱかなり良かった・・・
Alicia Keysは才能に加えて、賢さを感じるから好き。
そこらへんのアイドルみたいにすぐHIP-HOPに逃げないし
ダンスで誤魔化さないし、もちろん露出魔じゃないし
ピアノ弾いちゃうし!


彼女のPVもどれもストーリーがあって好き。

いつもお店に来てホットチョコレートを頼むお客さん、
気になるけど、彼私の名前さえ知らないよなぁ~
でも好きになってくよぉ~あーどうやってこの想い伝えよう!
みたいな "You don't know my name"

"If I ain't got you"では
ケンカばっかしてる彼に、ポンと渡された鍵を開けて部屋に入ると
欲しかったピアノがおいてあって・・・ まぁ~!みたいなw
でも彼はハーレムのど真ん中で
ドラッグ容疑で間違って逮捕されちゃう、
んで彼は「待ってくれ!オレ彼女と話さないと!」とか叫ぶんだけど
無情にも連行されて・・・みたいな(笑)
白い息を吐きながら、ニューヨークの寒空の下ピアノを弾き歌う
Aliciaの横顔がとてもきれいです。

どのPVを見ても、必ずどこかにアクセサリーとして"key"を身に付けているのにも
彼女のポリシーを感じます。
彼女の耳や首元に光る鍵は、「人生の鍵」なのかしら~?
素敵。

"My boo"のPVの舞台も、もちろんニューヨークのど真ん中。
ティーンエイジャーのころに恋した相手を忘れられないままの男女が
それぞれ(今頃アイツどうしてるかな・・・)と想いにふけりながら
家でぼーっとしたり、はぁーっと自分の人生にため息をついたりしてる。
んで、まぁぼちぼち出掛けようかな、とコートを羽織って家を出て
43rd Street辺りを歩いてると、あの初恋の相手が歩いてきて・・・・
みたいな。
(あのスタバはどのストリートにあるスタバだろう・・・?)
(おお、デンゼル・ワシントンの映画を一人で見に行ったあの映画館!)
(このMariott Hotelの近くにいいクラブがあるんだよな~)
と記憶力と想像力を使って、映像の中のニューヨークを見るも楽し。



つうかAlicia Keys and Usherホントかわいい。
やたら可愛く見える・・・Aliciaの身長があんまUsherと変わらないこともお構いなし。
あとUsherの部屋の中がカッコイイ。
アメリカの金持ちってみんなあんなかんじの部屋に住んでるんだよねー
いいなー



つぅか私暇ぶっこきすぎ・・・


a0007479_23493163.jpg
[PR]
by akkohapp | 2005-01-21 00:43 | NYC, USA

The Key of the Big Apple

8月のニューヨークは臭い。
様々な肌の色を持った人からそれぞれ沸き立つ汗、
少しでもビルの陰に寄ろうとするホームレスの糞尿、
ストリートのいたるところに捨てられる生ごみが
瞬時に腐敗を始める。
これらの匂いに加え、ピーナッツ屋台の煙、セフォーラの新作パヒューム、
ハンバーガー屋のポテト、排気ガス、地下鉄の駅の温風、
ホットドッグのチリソース、全てが混じりあい
攻め入るように鼻腔に押し寄せるのだから半端ではない。

1年ぶりに訪れたニューヨークの街は、私の目には
ただの臭くて薄汚れた忙しい街にしか映らなくなっていた。
ようやく再会できた恋焦がれていた人に、
もはや昔のような恋情や情熱を抱けない自分に気がついてしまったかのように、
あるいは特別だと思っていたその男も
その他大勢の人間とそう変わりもなかったんだなと
気が付いてしまうかのように、
あんなにも魅了的だったニューヨークの魔法はあっさりと解けてしまった。

こんなに臭い街だったっけなぁ、と顔をしかめながら足早に歩いて
留学中からNYに寄る度にお世話になっていたホステルに
帰ったのは夜中の2時を過ぎていた。

日本で緊張感を纏わない生活を送るうちに
すっかり臆病になってしまった私は
体を覆う皮が薄くなってしまったかのような恐怖感に捕われながら
たった3ブロックしか離れていない映画館からビクビクしながら
帰ってきたのだった。

まだまだ外は暑いでしょぉ、とトニーが声をかけてくれた。
フロント係の彼は2年前、アポなしで突然飛び込んだ私に
部屋のキーをくれ、相変わらずアポなし宿無しの私に
今回もベッドひとつと真っ白なシーツを渡してくれた。
日本人の男の子には何故か意地悪だという噂だけれど
私はトニーのゲイ特有の柔らかいのイントネーションが好きだった。

安全な場所で久しぶりのニューヨークの夜風に当たりたかったので
3時にバルコニーが閉まってしまう前に急いで外に出た。
空を見上げるが、そこには空さえ存在しないかのように何も見えない。
大小のビルが思い思いの形で虚空に伸びて行く。
ビルの陰に隠れそうな十字架。ストリートに出てしまうと
まったく所在が分からないが、どうやら教会が近辺にあるらしい。
近くでサイレンが聞こえる。

冷めてしまったのは自分の気持ちなのに、なぜかニューヨークに
打ち捨てられたような気持ちになり、
この都市のパワーに負けている自分に気が付く。
この街が包み込むダイナミックな生と死、
朝と夜、喜びと悲しみ、それら豊かな二極性に魅了された私は19歳だった。
しかし今再びこの街のアスファルトの上に立ち、足元を見つめると
そこに見えるものは何と言うこともない、
世界中どの場所でも平凡に繰り返される人生の一歩一歩があった。
蒸し暑い地下鉄に乗り、生活のために働き、
犯罪に巻き込まれぬよう子供たちを教育し、
スーパーでは今週のお買い得品を買う。
そんな当たり前の生活風景が、
2年前よりもずっと明確に見えてしまった。

しかし、この街に失望感は抱いていない自分に、私は気付いていた。
慕情こそなくなったものの、私はこの街で生活を送ることのできる
確かな自信を感じるようになっていた。
それは旅行者は感じることができない、
そこで生活を送るものだけが刻むことができる、静かな、でも確かな
一歩一歩のリズムだ。


私がこの街に、自分の部屋のキーを借りに来るのは
いつになるのだろう。
トニーにシーツを借りなくても、
安らかな自分のベッドで眠りにつくことができるようになるのは
いつになるのだろう。



ニューヨークの夜は淡々と更け、
夜風と共に午前三時のこの街の匂いが私を包む。
そう、それはよく知っている、身体に馴染んだ匂いだ。
[PR]
by akkohapp | 2004-09-13 01:58 | NYC, USA

Moment of silence for 9/11

3度目の9月11日がやってきた。
3年前、飛行機がニューヨークの高層ビルに突っ込むのをTVに釘付けになって
眺めていたときは、ニューヨークという都市が後に自分にとってこんなにも
大きな意味を持つ都市になるということを想像さえしていなかった。
ニューヨークが自分にとって特別な街になって、改めてあの惨事が
その街に住む人々にとってどれだけ大きなダメージを与えたものであったかが
よく見えるようになった。

8月の末に再びグラウンド・ゼロを訪れた。
訪れるたびに姿を変えるグラウンド・ゼロはその傷跡もすっかり「補修」され
そこがどのような意味を持つ場所かを知らない人が見たら
ただの工事現場に見えることだろう。
その日は細かい雨が隙間なくNYCの町を覆う、悲しいほどの悪天候。
8月だというのに上着を羽織り、傘は持たずにバスを降りた。
すっかり観光ルートの一部になってしまったWTC跡を、
金網ごしに眺めたい気持ちはなかったが、
そこを訪れるたびに何かを新しく感じ取りたいと思う気持ちが私の歩みを速めた。

かつては巨大な星条旗が吊り下げられていたグラウンド・ゼロ周辺の高層ビルは
すっかり再建され、何事もなかったかのように
高層ビルのジャングルの中に同化していた。
2年前は溢れんばかりだった献花や、
さまざまな国の言葉で綴られた犠牲者へのメッセージも減っていて、
ますますその場所は無機質なコンクリートの塊のように見えた。
雨の中を歩く。
そこにはNYC中の他のどのストリートでも見かける風景がある。
湯気を立てるホットドッグ屋、足早に歩くビジネスマン、
ウォークマンを聞きながら歩く高校生。

・・・高校生?

グラウンド・ゼロのあるロウアー・マンハッタンはウォールストリートのある地区で
ビジネスマンが闊歩するエリアである。
どこまでも高層ビルが立ち並び、見上げる空さえも迷路の中に吸い込まれそうな
この地区はお世辞にも教育に理想的な環境であるとはいえない。
しかし、それは確かにそこにあった。

グラウンド・ゼロからわずか1ブロック。
二つの飛行機がビルに突っ込み、3000人以上の犠牲者を出した9・11の
悲劇の爆心地から、わずか1分。そのビルに刻まれていた文字、
"Highschool"-高校だ。
工業高校らしいそこは、おそらくあまり収入の高くない家庭の子供が通う学校なのだろう。
大人の体をしたアフリカン・アメリカンの子供が数人大きな声を上げながら通り過ぎる。
この子たちは3年前の9月11日にもこの学校に通っていたのだろうか。
どのようにこの学校は3年間の歴史を乗り越えてきたのだろうか。
新学期が始まったばかりだったろうあの晴れた日、子供たちは一体
何を聞き、何を見、何を嗅ぎ、何を感じ取ったのだろうか。

ビルの正面に回ると、学校のロビーがガラス戸の向こうに見えた。
そこにあったもの。
そびえたつ二本のビルの向こうに巨大に広がる火の玉。
ツインタワーが燃えていた。
まだ稚拙な絵筆で描かれた惨事は、見る者にその凄惨さをダイレクトに訴えかけていた。
灰色の街が灰色の雨で満たされていたようなあの日、
私の目にはあの絵の赤だけが色であるかのように焼き付けられ、記憶された。


今頃はNYCのいたるところでメモリアルセレモニーが行われていることだろう。
悲しみを歌に託し、ろうそくの灯りに託し、祈りに託し、涙に託し、生きる力に託し、
人々はニューヨークに生き続ける。
[PR]
by akkohapp | 2004-09-12 01:28 | NYC, USA