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カテゴリ:Art& Music( 16 )

Many Rivers to Cross

同じお皿からごはんを分け合って食べたり
気が付いたら48時間以上一緒にいた、なんてことになったりするくらい
誰かと一度深くつながると、
例えその人と決して会わなくなったりしても
相手の破片がどこか自分の体内に残っている。

とっくに過去になっていたはずの、一緒に過ごしたその時間が
突然現在に蘇り、更にそこから思いもしない未来を運んできたりすることがある。


一年前の夏、ピンクのさるすべり木が植わる
新宿御苑沿いの道を、終電の時間を気にしながら
その日も二人駅まで歩いていた。
一つ目の角を曲がったとき。
白いガードレールの上に座り、私たちを眺めている人がいた。
夜の中に、長いドレッドヘアーと白いシャツが目立っていた。
通り過ぎるとき、彼が軽く挨拶を交わしたのを覚えている。

「友達?」と聞くと
「うん、新宿に唯一の本物ラスタファリアン」
と彼は少し笑って答えていたっけ。
「あの地下に、小さいけど良いレゲエバーがあってさ。」

新宿駅から歩いて大分かかるし、
周りは新宿御苑の静けさに包まれている。
こんなところにあるレゲエバーに、誰が来るんだろう。
そう思いながら、よく行くの?と聞いたら
いや、時々フラっと立ち寄るくらい、と彼も言っていた。
ふぅん、と相槌をうって、それっきり、
そこにレゲエバーがあることすら忘れていた。



ところが、なぜか突然そこにレゲエバーがあることを
思い出し、それと同時にもう足はさるすべりが植わる
あの道へ向かっていた。


記憶は確かだった。
一つ目の角を曲がると、赤と緑と黄色のラスタカラーの看板が出ている。
でもこんないちげんさんを入れてくれるお店なのだろうか。
不安に思いながら木の引き戸を開ける。
入り口のところで、中を伺いながらもじもじしていると
カウンターの向こうにいたボブ・マーリーのTシャツを着たおじさんが
おいでー、と手招きしてくれる。

とりあえずの飲み物も、なかなか決まらず
「えーーっと、いちげんさんにオススメのドリンクは・・・」などと
聞いてしまう始末だったが、
「ん~?甘いのがいい?強くないのがいい?」と
とても丁寧に対応してくれたので、とことん安心して
「甘くなくて強いのがいいです」
と答えたら目を細めてライムをギューっと絞った強いお酒をくれた。

それですっかり安心して店内を改めて見渡すと
見たこともないような巨大スピーカーが聳えている。
数えてみたらなんと12面もあった。
肝心の音楽は全てルーツレゲエなので
強い音は全くなく、ただただ優しくゆっくりな音がその巨大スピーカーの口から流れる。

これまたラスタファリアカラーに塗られた壁には、
色々なバンドや映画、レコード屋のポスター、イベントのフライヤーが
貼られている。
それぞれの壁を眺めながらわかったことだが
どうやらこのバー、新宿のこの地にオープンしてなんと今年で9年になるらしい。
かなりの老舗だったようだ。

マリブとパイナップルを割った二杯目を飲むころには
すっかり気持ちよくなって、壁のようなスピーカーに
椅子に座った上半身をもたれさせて、全身を耳にして音楽に聞き入っていた。
音楽をこんなに無心で聴いたのはいつぶりのことだろう。

「そうしていると気持ちいいだろう?」
最初なんと言ったのか聞き取れず、聞き返したら
ゆっくりと言い返してくれたのは
何故かウェスタン調のファッションに身を包んだダンディーなおじさん。
50代後半か。
ほんと、すっかりリラックスしちゃって、と答えながら目を覗きこんでみる。
毎朝乗る出勤電車の中なんかでは決して見られないような
余裕のある若い目だった。

「土曜日の2時くらいはこのフロアぎゅうぎゅうになっちゃうんだよ。」
8人しかいない店内を前に、そんなことを言う。
「あ、みんな俺のこと校長って呼ぶから。」
唐突な自己紹介にテンポを自然に合わせながら
え?校長ですか?何か学校でも開かれてるんですか?、と聞いたが
笑って首を振るだけだった。
テンガロンハットと、ルーツレゲエと、校長。
ダビンチコードどころではない謎っぷりも、
どうでもいい。


「仕事の帰り?」
そうやって声をかけてきたのは、フロアの真ん中で一人体を揺らしていた女の人だ。
蛍光灯の点った電車の中で、前に彼女が立っても
まずその外見と、レゲエを結びつけることは不可能だろう。
白っぽいワンピースと、黒いレースのカーディガン。
黒髪と少しぽっちゃりしたかんじ。
声は高め。40代前半というところか。

よく来られるんですか?と聞くと
「あはは、たまに踊らないと太っちゃうから!」と明るく答える。
生まれつきぽっちゃりした体型のひとなんじゃないかなぁと思わせるような
彼女が笑顔で言うのが可愛らしかった。
「ジャマイカは行かれたんですか?」
「うん、行ったよー。すごい良かった。行ったことある?」
いえ、まだないです、と首を振りながら
やはり彼女とジャマイカを結びつける線が見つけられず
そういうのもいいなと思った。


3時くらいに満員になるよ、という声に少し後ろ髪を引かれたが
結局終電で帰ることにした。
すっかり馴染んだ店内のオレンジ色っぽい暗さを心地よく着込んで
カウンターに向かって振り向くと、
「またおいでー!」といくつかの声が重なって帰ってきた。
なんて良いかんじのお店なんだろう。


こうして、素敵な場所とおもしろい人たちとの出会いを今夜運んでくれた
一年前の恋人に少し想いを馳せながら、
幸せな気分で終電が待つ駅への坂道を登った。
"Many Rivers to Cross"
坂の途中でジミー・クリフの言葉をふと思い出す。
人生の中で繰り返し交じり合っては別れてゆく川。
ゆらりゆらりと水面は揺れては流れ、
単調に続いてゆくレゲエの音のように何も変わらないように感じられても
生は確かに次の場所に向けて進み、流れているのだ。

Many rivers to cross and it`s only my will
That keeps me alive
(Jimmy Cliff)
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by akkohapp | 2006-06-18 01:15 | Art& Music

Eclipse

トラック1のワンフレーズを聴いただけで、
この冬はこの赤いパッケージのCDと長い時間を過ごすことになることが分かった。

英語に「切ない」という感情の対訳がないことは
日本人と「英語人」のメンタリティーの違いを大きく表しているような気がすることがある。

アメリカのCD屋で何が欲しいのか決めかねて、
長時間ウロついていた私をいい加減追い払いたかったのか
めいあいへるぷゆーと仕方なさそうに聞いてきた店員に
「うーん、なんか・・・寂しい曲・・・ない?」と愚直に答えたら
「はぁ?」と返されたことを思い出す。
日本のツタヤだったら
「切ない系の曲」なんてコーナーだって簡単に設置できるだろうに。

切ないかんじとか、懐かしいかんじとか、
悲しいでも、嬉しいでもない、グレーゾーンの感情のブレを表現することに
日本人はとても長けている、と思う。
そんな気持ちって日本人しか表現できないことなのか、とさえ思うことがあって
そう思うときはなんだか越えられない見えない線に触れたようで悲しい。

だから、嬉しかった。
その旋律を耳にした時、
あぁ、こういう微妙な色を表現するパレットを持つのは
日本人だけではないんだ、と思ったから。
そんな音の後に英語のリリックが聞こえてきた時、
違う言葉をしゃべってたって
人間同士なら分かり合える余地あるんだ、こんな細かい小さなところまで!
と思った。


だから、ショックはデカかったな、彼が日本人だったと分かって。
こんなに共鳴しちゃって、自分と彼はやっぱり日本人というカテゴリーの中で
つながっている結果なのか、とジンジン思った。
所詮ここまで分かり合える"inter-national/cultural/racial/ethnic"
は存在しないのか、と失望を覚えたほど。

Nujabes。
日本人だと聞かなければ、日本人だとは決して分からなかった。
けれど、こんなに日本的な感情を音に出来る日本人ではない人が
存在するわけもない。

その日本的な感情を音にして
世界を包むアーティストが存在することを、
日本人として誇りに思う。


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Nujabes 2nd Album "Modal Soul"
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by akkohapp | 2005-11-15 21:49 | Art& Music

『ミゲル・ストリート』

トリニダッド アンド トバコ

ってどこにあるか知ってるひとーーー!!!
国旗とかどんなデザインか分かるひとーーー!!!


・・・・ってことで。
そんなトリニダッド出身のナイポールが書いた
『ミゲル・ストリート』
でありますが、
ノーベル文学賞受賞者が持つさすがの感性で
トリニダッドの「生」が描かれています。

トリニダッド・アンド・トバコは1962年にイギリスより独立。
実はカリビアンネイションの中でイチバンの経済力を持っており
日本大使館もちゃんとあるのです。
首都はポート・オブ・スペイン。

人種構成はインド系41%、アフリカ系41%、中華系、その他色々混在している
多様性溢れるお国柄なようですが、
それらの多様性の間に一定の緊張の糸が張っているだろうことは
まぁ想像がつきます。

ナイポールはそんなトリニダッドに生まれたインド系トリニダッド人なのですが
オックスフォードに留学、英国で作家人生としての道を歩み始めます。

ミゲル・ストリートに住む個性豊かな住民たちを
各チャプターを通じて描写するこの作品。

「オイ、坊主どこ行くんだ?」
と朝出かける「僕」に訪ねる詩人。
学校に行くと答えると
「そうか学校か」と言って地面にチョークで
「Scho」と書く彼。
「僕」が学校から戻り、制服から着替えてストリートに戻ってくると
彼はまだ
「ooooooooooooooooooooooooo...........................」
ストリートに書き続けている。
「僕」が帰ってきたのを見つけると
ニヤっと笑って
「l」
を書き加える彼。


坂口安吾の『堕落論』に通じるアナーキズムかと思いきや
実は全然そんなことなくて、
人間がみんなもってる温かいドロドロした優しさとか悲しさとか
そんなものが方々に散りばめられている。
ナイポール自身を指す主人公の「僕」は
小さな小さなこの島をバカにしたり、けなしたりもしながら
でも根っこのことではチャッカリ愛しちゃってる。
そんな気恥ずかしい愛郷心は
この島を取り囲む海のように
常にそこにあるのだとよくわかる。
でも、そこにあるのは柔らかい南国の日差しだけじゃなくて
脱植民地化したものの、どうにも自立できない
小さな島国のジレンマだとか、
そこに残った「周縁・中心」構造だとか
(結局「周縁」である発展途上国は「中心」の先進国に従順してゆくより
国際社会に参画してゆく道がないとする論理)
そんな社会環境的な側面が、ナイポールの心の内側から読めます。


ごめんちょっと今気分的にあんま文章スラスラ出てこないから
この辺でやめちゃいますが
とにかくご紹介したかった一冊です。
原作は1952年出版、今年2月に日本語翻訳版が出ました。
全く色褪せることのない名著です。


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by akkohapp | 2005-10-23 21:23 | Art& Music

あのころ

ひざ小僧を抱いて、階段に座って遠くを眺める少女、
腕を骨折し包帯を巻いている猫、
モスグリーンの荒れた海の上で本を読むビジネスマン・・・
懐かしいような淋しさと、
よく覚えているような孤独感に包まれた絵が続く。

ミヒャエル・ゾーヴァによる挿絵と
那須田淳氏による文章によって構成されている
『少年のころ Kindheit』(小峰書店)は
少年、少女の頃を通り過ぎた、
それでもまだあの頃の感覚をどこかで覚えているような
大人のための絵本だ。

子どもの頃、何の前触れもなく、けれど確固たる存在感で
「死」や「孤独」はいつも突然私に迫った。
あのころってどうしてあんなにそういうものに敏感だったんだろう。
そういうものから、最も遠いところにいたはずなのに。

小学校3年生、3学期の終わり、具合が悪くなって保健室に行った。
保健の先生はすぐ戻ってくるから、と言ってどこかへ行ってしまい、
まだ冬の匂いがする保健室の中で動いているものは、
保湿機の音と先生が残していったホットカルピスの湯気だけだった。
私はベッドの上で、保健室の白い天井を見つめながら
校庭から聞こえる先生や他の子ども達の声を聞いていた。
いつも、そういう時だった。
「それ」がやってくるのは。
この世で自分は一人で、
いつか
お父さんも
お母さんも
おばあちゃんも
おじいちゃんも
妹も
みんな死んでしまう日が来るということ、
生まれてきたけれど、
いつかは死ぬのだということ、
そんなことにハッと気がつき、
猛烈に怖くなるのは。
糊の利いた保健室の布団を口元まで引っ張り上げて
突然襲う「それ」に耐えた。

思春期になるにつれて、そんな大それた恐れや不安、それ自体は
次第に私の中から色を薄めて行ったけれど
あんな大きな恐怖や不安に時折包まれていた
子どもの頃の自分の風景は、まだ記憶している。

『少年のころ』は、あの頃に感じていた「それ」や
あの頃私が見ていた情景を浮き上がらせる絵本だ。

挿絵を担当したミヒャエル・ゾーヴァ氏は
映画『アメリ』の美術担当で、アメリの部屋の中に飾られていた
可愛らしいけれどちょっとスパイスの効いた不思議な絵は彼によって描かれたものだ。

子どもの頃の情景、それは人それぞれ違うもののはずなのだけど、
例え自分のしたことのないこと、見たことのないものを
目の前にポンっと出されても
なんとなく、
「ああ、それよく覚えてる!懐かしいよね」
と瞬時に共有できてしまうのは何故だろう。
「子ども」であるというだけで、
みんな何か同じものでつながっていたからなのかもしれない。




『少年のころ』より抜粋

-隠れ家
子どもの頃、
押入れに隠れるのが
好きだった。
本とお菓子を持って、
もぐりこむこともあったし、
ただ目をつむっている
だけのこともあった。
そんなとき、
押入れの中は無限に広く、
いつも時間は止まっていた。

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by akkohapp | 2005-08-27 12:10 | Art& Music

叫べ!!

「DCに住んでたんだ」
というと、
「ああ!チョコレート・シティだね!」
という返答を受けたのは一度や二度ではない。
初めてそう聞いたときには頭の中に?が三つほど浮かんだ。
恐らく、「チョコレート」というのは、
人形の家のように並ぶ家々のレンガの色のことを指しているのではなかろう。
それはきっと肌の色のことを指しているのであって
DCはチョコレート色の肌を持つ人々が多く暮らす街、
そういうことになる。

ところが、私が住んでいたジョージタウン周辺では
スーパーマーケットで買い物をしているのも、
バス停でバスを待っているのも、
金曜日の夜になるとストリートに繰り出してくるのも、
ほとんどが白人だった・・・
ような気がしていた。
だから、何故あの都市が「チョコレート」であるのか
全くピンと来なかったのである。

ところが。

スーパーマーケットでレジを打っているのも、
バスを運転しているのも、
金曜日の夜でなくともストリートで物乞いをしているのも、
ほとんどが黒人だったことを思い出した。

DCがチョコレート・シティと呼ばれる所以、
それは数字を見れば明らかになる。
DCの人口は約60万。
そのうちの60%が、Race in the Census(国勢調査)の
"Black, African American"というボックスにチェックをつける。
数にすればおおよそ35万人。
ちなみにアメリカ全土におけるアフリカ系アメリカ人、あるいは黒人が
人口に占める割合は12.3%、同じくアジア系アメリカ人の割合は2.7%である。
U.S. Census Bureau 2000年のデータより。)


「う~ん??チョコレート・シティー・・・って言われてるけど・・・
私がいたところはどっちかっていうとホワイトチョコレートだったかな・・・」
そんなマヌケな返答をしていた私にとって、
今日観賞した映画"SLAM"は衝撃的なものだった。

映画のあらすじ等はアマゾンで読んでいただくことにするが、
とにかく、そこには私の見たことのないDCが荒々しく繊細に描かれていた。

留学中は、「Union Stationよりあっち側に一人では行かない」というのは
誰に教えられなくてもなんとなくみんなが守っていたことで
それだけに初めてグレイハウンドバスに乗るために
Union Stationよりも奥へ歩いて行ったときには自然に早足になったのを覚えている。*
この映画は私が決して見ることのなかった「ダイヤの奥」の真実を激しく露呈したもので
これを見ることによっていかに自分が10ヶ月間の間、狭い範囲で生活をしていたのかが
よく分かった。


"Slam"とはビートに乗せて言葉を紡ぐ新しい詩のプレゼンテーションの方法だが、
主人公の若者はこうして自らの言葉を自らの方法を通じて使うことによって
世界観をゲットーより外へと広げてゆく。
そこには暴力やドラッグ、不公平な正義も多く歌われるが、
人種や背景に関係なく、純粋に人を愛する気持ちや、自分の恐怖や不安をも
真っ向からぶつけてゆく言葉は常に逞しく、優しく人々の心を打つ。
主人公を演じたSaul Williamsは正真正銘の詩人(/ミュージシャン/俳優)で、
彼の言葉を母国語の感性で聞き取れないことは非常にもったいない思いがした。


豊かな音楽も、個性的な絵も、力強い言葉も、
ピカピカに磨かれた真っ白な場所から生まれるのではなく
それら芸術の底辺にはいつだって、
汚れも傷も呑み込んだ、ストリートの熱い血が流れているのだろう。
一週間後に控えた三度目のDCへの旅。
また新しいDCの一面が見られることを期待したい。








* ダイヤの形をしたDCのちょうど真ん中よりもちょっと右に位置する
Union Stationよりも奥(ダイヤの右、上)は、
低所得者が多く住む地区となっていて
ストリートの雰囲気もガラリと変わる。
店の多くが窓枠に鉄格子をはめており、
また車も大きなアメリカ産のものがほとんどになる。
ジョージタウンはダイヤの左側に位置し、ポトマック川を挟んでバージニアとなる。
ホワイトハウスやFBIといった政府機関が多く位置するのはダイヤの中心。
 
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by akkohapp | 2005-08-27 01:28 | Art& Music

夏休み始まりの音

ほぼ趣味で唯一マジメに履修してる授業から出てる課題:南北戦争勃発の経緯
・・・について7ページのペーパーを書き上げて
意気揚々と夏休みに突入だぁーーー!
教授のオフィスに寄ったら"Have a nice vacation!"
とかウィンク付きで言われ、こりゃー自動的に雰囲気盛り上がって参ります。。。
大学四年は一年がバカンスみたいなものだから
大した開放感もないけど、夏が始まる!っていう高揚感はやっぱりウレシイ。
考えてみれば人生最後の夏休みになるんだな。

渋谷で用事を済ませて、そのままフラフラとレコード屋巡ってみた。
発掘したのはLil' LouisのFrench Kissアナログ。
最近この人のアルバムをゲットしたばっかりだったので目がキラキラしてしまった。
90年代が産んだ天才の音、問答無用に脳みそが受け入れてしまう。。。
いやそれにしても女喘ぎすぎ。どエロいわー。

更にぃ、Vivian GreenのGotta Go, Gotta Leaveのリミックスが流れてきて
おったまげました。Vivian Greenだとは分からず、店員さんに聞きました。
Vivian Greenて3年くらい前は結構しっとり系R&B/Blues/Jazz路線でしたよねぇ?
オーガニック系というか??それがビフォー・アフターちっくに大変身して
なにやらミョーにセクシーなジャケットで再登場してますが!?
いや、でも外見にお腹いっぱいになってる暇はない、良い!
久しぶりに聞き込むオンナ系音を見つけた気分であります。
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                        これが
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                       こうなった!
                      あっはーん★



つけたし。
今かかってるNuyorican Soulの音がアツい。
色々ごったまぜにしてできあがった音、これこそニューヨークメイドの音じゃないですか。
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by akkohapp | 2005-07-21 23:11 | Art& Music

「『人間の出来不出来は、精子と卵子が結合するときの
男女の精神状態に甚しく影響される。
自分は、父親と母親がもっと念入りにつくってくれていたら、
こんな人間にならなかったとおもう

そういう意味の文章で、作品が始まっている。」

吉行淳之介が著作『湿った空乾いた空』中で紹介している
ロレンス・スターン作『トリストラム・シャンディ。』
面白そうな冒頭じゃぁないですか。

『トリストラム・シャンディ』は田舎紳士の自伝という設定だが、
このトリストラム・シャンディ氏の母親、「天地創造の時このかた」に

「あなた時計のねじを巻くのをお忘れになったのじゃなくて?」

と、言ったという。

夏目漱石が1897年に日本に初めて紹介したらしいこの作品、
作中人物が死ぬと、次の一ページ全部を真っ黒に塗り追悼の意を表現したり
「文章とは会話の別名に過ぎない」(『トリストラム・シャンディ』上巻182-3頁)
との名言の元、

「私はスロップ医師のいたましい落馬と、また同医師の裏の居間へのいたましい出現とを」
(同頁より抜粋)
という物語の一文の途中で突然

お行儀のよい会話作法は会話のキャッチボールに基づくんだから
俺にばっか文章を書かせないで、この本を読んでるあんたらも
ちっとは話の先を脳みそ使って考えてみろや!!

ってな一文が、
突っ込まれていたりする。
なんだこりゃあ・・・・


この究極のギャグ古典は18世紀のイギリスにてキリスト教のお坊さんによって
書かれたものらしい。。。

図書館イットク?
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by akkohapp | 2005-06-06 23:09 | Art& Music

ごめんねアリシア

アリシアキーズ大好きとか言っておきながら、
The Diary~を購入していなかったツケが来ました。
最後のトラック、The Streets of New Yorkを聴いていなかった!!
ショック・・・
しかもNasさん、Rakimさんをお招きしたゴージャスな曲じゃないですか。
2004年版New York State on My Mindとある。。。
これを聞き逃していたのは・・・イタイ。
マンハッタンの汚れも暗さも全て呑み込んだ上でマンハッタンに生きる。
あのスペシャルな街への愛情がアリシアの声からしみじみと伝わってきます。
これまで聴いてなくてごめんね、アリシア。

最近いいじゃんと気づいてよく聴いているのがちょっと今更?なLudacrisさん。
南部パワー炸裂です。
昨年の冬に出たThe Red Light Districtの前作、
Chicken and Beerは、ジャケ写真に印象の全てを持っていかれてしまい
しっかり音を聞き込むに至りませんでした・・・
なんか見ただけでおなか一杯になっちゃったんだもん・・・
                         ↓コレ
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                      (脚だよ脚・・・・。)
でも、Red Lightはなかなかノリノリな一枚で
新宿駅で電車を待ちながらGet Backを聴いてると
朝の満員電車の憂鬱もイェエエ~~~~イ!と乗り切れるような。
こんなに元気でちょっと恥かしいっていうくらいがちょうど良いかんじです◎


今一番欲しい一枚はDiary of a Mad Black Womanのサントラ!
Angie Stone, Monica, India Arie, 大好きなHeather Headleyら
実力派女性シンガーたちが、しっとり系からノリノリ系、ジャズからソウルまで
幅広く歌いこなしています!!広く深い一枚。
映画は日本でも公開されるのかしらん?
せめてCDだけでも手に入れたいけれど
最近はCD一枚に2000円以上つぎ込む行為が恐ろしくて
なかなか一枚選んでレジに持ってゆくということができません・・・


あ、そうだあとNASとCommonのリミックスアルバム
Uncommonly Nastyが非常に気になっています!
どなたかもう聞かれた方いらっしゃいましたら、ご感想をお聞かせください★
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by akkohapp | 2005-05-22 23:04 | Art& Music

夜のカフェテラス


深い黄色のテントと、群青色の天井。
店内にはコーヒーを挟んで何やら真剣に言葉を交わす若い三人の男女と
何も話さない夫婦、
そして遅めのディナーを食べるマスター。

こんばんわ、カプチーノ、ありがとう、
という三単語だけで、望みのものをすべて揃えた。
アルルの夜は静かだ。

迷っても、道をたどっていれば必ず町の中心にそびえる
教会の前にたどり着く石作りの路地を
彼はそぎ落とした一方の耳に痛みを覚えながら歩いたのだろうか。

少し飲みすぎた赤ワインの酔いに任せて
友人にポストカードを書くためにペンを滑らせた。
今、この葉書に描かれているカフェにいます、と
ぼんやりと文字を並べるエアメール。

絵の中に描かれたような星の輝きは夜空に一切見つけられず
密度の高い闇に少し畏怖の気持ちを覚えたことを覚えている。

身を焦がす愛欲も
体の一部を切り落としたくなる絶望も
星の輝きのような生への喜びも
そこには見えず、
唯一見えたものは
一日を無事に終えた人々のやわらかい横顔と
カプチーノの香りだけだった。

ただただ変わらないのは
深い黄色と、群青色。

それだけは、彼が映した色と変わらぬまま、
a0007479_1222339.jpgのカフェテラスを彩っていた。






ゴッホ展今週いっぱい開催中です。
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by akkohapp | 2005-05-17 01:23 | Art& Music

『黄金の魚』

谷川俊太郎 黄金の魚


おおきなさかなはおおきなくちで

ちゅうくらいのさかなをたべ

ちゅうくらいのさかなは

ちいさなさかなをたべ

ちいさなさかなは

もっとちいさな

さかなをたべ

いのちはいのちをいけにえとして

ひかりかがやく

しあわせはふしあわせをやしないとして

はなひらく

どんなよろこびのふかいうみにも

ひとつぶのなみだがとけていないということはない





『夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった』
1975年
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by akkohapp | 2005-05-17 00:15 | Art& Music