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カテゴリ:花鳥風月( 58 )

Autumn in New York

アメリカの秋は日本のそれよりも
ずっとダイナミックに、力強く訪れる。
それは巨大なスーパーマーケットに色とりどりに並ぶアイスクリームのようで
街路樹ですら添加物でも入っているのかと思うほど色鮮やかだ。
そこにまた、東京のそれとは同じものと思えないような
広大で色の深い空の色が映る。
新しい携帯を買って、画面がワントーン明るくなったような、そんな秋を向かえている。

特にこれといった用事がなくても、やはりマンハッタンに出ると
新しく感じる何かがあり、驚いたり、疲れたり、微笑ましい光景を見つけるたびに
しばらく使ってないなかった心の筋肉がもう一度動くようだ。

人との距離が遠くて近いこの国では
地下鉄に乗っていて、他人だと思っていた人同士が
通路を挟んで突然親しげに会話を始めたりして
そうか、知り合いだったのかと思うとやっぱり他人だったりするようなことが
当たり前で、そんな自分にも突然投げられる変化球を拾っては返すことが楽しい。

東京で会った人とも、ニューヨークで会うと全然違った歩き方やそぶりをしていて
ふと自分もそんな風になっているのだろうかと思ったりする。

バスで隣に座っている人と、自分の生き方の色が比較にならないほど離れているこの国で
どこかでそのの色の範疇の中に他人の色を組み入れて、自分と重ねてゆく作業は
どれだけ際限がなく、果てしないようでいて、可能性に満ちているだろう。
決して交わることはできないようでいて、いくらでも変化することはできる。
できる、というか、しなければ生きてゆけない、この街では。

パキスタンでの暴動のニュースが、毎朝トップニュースとして取り上げられる。
パキスタンの地理も、首都の名前もムシャラフの名前もまったく知らないだろうと
アメリカ人をバカにしていても、ニューヨーカーは違う。
ブルックリンには多くのパキスタン系の移民が住んでいて
彼らも地下鉄に乗り、ミッドタウンあたりのオフィスで仕事をする毎日を営んでいる。
隣に住んでいる人は、インド系のように見えたけれども、
そういえばパキスタン系かもしれない。
そんな、世界が混在し、様々な故郷の顔を持つ人がすれ違うこの街では
自分だけの色の中で生きてゆくのは自分を守る術を知らないということだ。

そんな、交じり合い、でも中々溶け合わない中にいると
溶け合っている人との守られた家がどれだけ大切に思うことか。

本当はまだまだ溶け合ってなんていなくて、どこまで入れられているのかも
分からないのに、それでも許しあっている友達や家族、
ちゃんと自分の通り道が開いている人の存在が
浮き立つように分かる国だからこそ、大切に思う。守ろうと思う。

ニューヨークは深い秋の中だ。
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by akkohapp | 2007-11-09 22:38 | 花鳥風月

3月19日

3月も半ばだというのに、暗くなった帰り道の坂を北風かすごい速さで私を追い越してゆく。
合わないヒールの足が痛い。NYはまだ明け方の6時だ。

電車の中で携帯のメール送信履歴を読み返してみたら、
送ったメールのほとんどが英語だった。
こんな小さな機械から送られた文字が、
軽々と海と時差を超えてあの大都会に住む彼の元へ届くというのに、
自分はこうして今日も疲れた顔を乗せた電車の一部になっているだけだ。
現実的なところ、パスポートの有効期限も切れている。

考えてみれば、いつもいつも時差の向こうにいる誰かのことを想っている。

最近の民族論の中には、民族の記憶、という新しいカテゴリーが生まれたらしい。
同じ風景を見、同じ文化、同じ時代を共有した者は同じ記憶をたどる、という。
ものごとに対して、光を当て、記憶としてとどめておく箇所が一緒、ということか。

自分にはそういう光の焦点が定まらず、地球のどこかが夜の時、その反対側は朝、
という生き方をずっとしているような気がする。
隣の芝は青い、よりももっと強いその距離を隔てるものへの執着は、
気がつけば私の中に根を張って、こんなにも大きく立派な木になってしまった。

記憶が始まってからの私の人生は、いつも一つの国の内と外があり、
そういえば天気予報も、時報も、ニュースも、いつも二つの国のものを見ていた。
半そででアイスクリームをなめながら、
12月の東京の地図の上に雪だるまマークがつくのを見た。
アイスクリームが涙の熱さで溶けていた。
Nyの美術館では、込み合う渋谷駅の写真を見て、
ものすごい慕情と一緒にそこから20分離れられなかった。
そして今は、ただただ13時間の時差の中で眠る彼の肌色を思い出し、
その中に溶けられればいいのに、と思っている。

本当の本当のダブルスタンダードで生きると決めることは、結構な決心と覚悟が必要なものだ。
アイデンティティーも、言葉も、見る風景や、ファッション、人との距離のとり方、
全部がバラバラな中で、どんなスタンスで生きてゆくか。
そのバランスをとるのには、結構オトコマエでかつエレガントな決心が必要だと思うのだ。

けれども、そんな潔く、繊細な決心の中で、私はいき続けてゆきたい。
そんな二つの車線を、愛車を転がしてずっとずっと海まで、砂漠まで、森まで、走りたい。
疲れたら彼に運転してもらおう。
そうやってずっと、一つの道よりも、二つの道から、もっとたくさんの場所から、
風景を見えることを楽しみながら、私は私の道を刻もう。
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by akkohapp | 2007-11-02 12:02 | 花鳥風月

はじまり

思えばいつも9月だった

朝6時の鱗雲
細切れの綿の間に覗く、清らかな朝の空の色

しとしとと降り続く秋雨の間に聞こえる
コオロギの音

ふと見上げた午前3時の空に
もう冬模様のオリオン座がクリアに映っているのに気づいたり

遠いイスラムの国の夜明けに
コーランが低く響くのを聞く

思えばいつも9月だった

そういう大きな何かが始まるのは

しずかに、おだやかに、
やがて香る金木犀の黄金色の風が流れるのを待つ
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by akkohapp | 2007-09-30 00:00 | 花鳥風月

Dear Messenger

ひょんなことから、まだ寒かった4月の新宿御苑のお花見でお会いして、
名刺を交換した人と、彼の持っている不動産の話をするために会うことになった。

皇居の周りの柳が、暑さでしょんぼり萎れるような午後、
帝国劇場の地下街にあるとても美味しいウナギ屋さんで待ち合わせて
お互い、この人だっけな・・・とちょっと確認し合いながら
ほぼ初対面の趣の再会を果たすと、ぎくしゃくと不動産の話をした。

ウナギは尾を少し折らないと箱からはみ出るくらい大きくて、
そこに白木の箱に入っている山椒をふってみると
ふんわりとした身から、はちみつを使っているというほんのり甘いタレが
湯気を通じて顔中の毛穴から香ばしさを伝えるようだ。

あんまりウナギが美味しいのと、
多分お互いあまり不動産やお金のことについて話したい人間ではないことに
早々と気がついたからだろう、ウナギをひとしきり褒めあうと
話はなんとなくお互いのことに移った。

今はもう2社目の金融機関で働いている彼から
全くハードコア金融人の臭いがしないので、
以前から金融のお仕事をされていたんですかと尋ねると、
ぷっと吹き出して、全然、と笑顔で答える。

「天津甘栗、って知ってる?」

「え、あ、はぁ、あの駅前で売ってる?」

「そう、あの駅前で売ってる。」

子どもの頃、冬になると、お母さんがおやつに買ってくれた
黄色い文字が書かれた赤い袋に入った可愛らしい栗を思い出す。

「あの、栗をね、僕、売ってたの、アメリカで。」

アメリカで天津甘栗を見たことがなかったので、驚いてしまう。

「オヤジがやってた仕事で。小さい商社でね。で、オヤジが死んだから
僕が継いだんだけど、それはもう大変だったよ。」

「栗だよ、栗。でも栗っていっても奥深くてね、やっぱり素材が
大事だから鮮度を保たないといけないんだけど、微妙な冷蔵温度とか
本当に大変。栗も生ものだから。」

そうして、その人は真剣な目をして、いかに天津甘栗の命となる
栗を選別することが難しいことかを、さっきの不動産の話の50倍くらい
情熱的に語った。

「色んな事があって、結局シカゴにある店をたたむことになったけど、
やっぱり辛くてね。いつまでこんな状態にあるんだろう、
これから自分はどうなるんだろうと途方に暮れてたよ。
最後に、店のシャッターをガラガラって下から開けて
自分が外に出てくるとね、シカゴの真っ白な月が見えるんだよ、
ちょうどそのシャッター上げた辺りに。
そうすると、突然理由もなく涙がボロボローって出て来たりした。
あの冬の月、忘れられないなぁ。」

言葉を紡ぎながら、ついさっきその月をとらえたみたいな
きれいな目をするので、こっちもなんとなく目の辺りがじわんとした。

「そうやって、ずっと自分じゃ抱えきれないような不安要素を持ったまま
走り続けたけど、結局もう一度自分を建て直そうって決めて、
大学院に行って。それで日本に帰ってきて、今はこうして仕事もあるし
ハッピーに暮らしてる。
やっぱり根幹は、五体満足で、毎日をキチンと織ってゆける仕事があって
食べて行けて、ってそういうことだから。

辛いこと、嫌なことっていっぱいあるけど、それを繰り返して
その先に自分なりに達成感とか、喜びがあるならいいと思う。
僕もあの日々があったから今の自分がいるって思う。
みんなそう言うでしょ、辛いことがあるときに、一番成長するって。
でも、やっぱり人間だから、ずっと自分のことを認められないような状態に
置いておくのは、良くないよね。

本当に嫌なことなんて、本当はなくて、それは自分の心の次第だけど
どうしても先が見えないようなら、やっぱり自分がやりたいこと、
自分が好きな事を、やりたいだけやらなきゃね。
長くそこに居続けて、それをやり続けても、ハッピーに思えないのは
神様が『それはもうやらなくてもいいよ、好きなことやりなさい』って言ってくれてる
サインなんだと思う。
だってくすぶってばっかの時間を長く過ごすには人生は短すぎるよ。」

最後の文章は、いかにも英語を日本語に訳したみたいで
可愛らしいなとか思ったけど、彼とその日、突然ウナギを食べたこと自体が
他の何でもない、神様からのメッセージだなと思ったので、
そう、伝えた。

そうやって、突然交わる人生の線と線には
きっと必ず何かの意図があって
そんな隠れたメッセージを大切に、自分の人生は色を織り成してきたなと思う。

さんきゅー神様、素敵なメッセージ、そしてウナギを。

私達は、うんうんと肯きながら、デザートに出てきた
半分凍ったライチを指で弾きながら、
今度はみんなを誘ってビアガーデンでも行きましょうと
ちょっと夏らしい企画をしてから
混んできたお店を後にした。
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by akkohapp | 2007-08-03 22:37 | 花鳥風月

鳥人間の生い立ち①

私の勤める銀行のある街、五反田は愛すべき街である。

山手線を渋谷方面から乗り、昭和を乗せて走るレトロな池上線が
乗り入れる駅に到着する直前、目前に広がるのは
ホテル群、そしてド派手な「制服・コスプレ・ランジェリー」の看板で
ご丁寧にその看板の裏にはキチンとショーウィンドーに沿って
それら三点が並べられている。

私の朝は、まずその三点を目の中に収めることから始まるわけだが
駅の改札を抜けて、東口に出ると、そこに待ち受けるは
ブラジル人の行列である。
最初は何事かと思ったが、何のことはない、
近くにブラジル領事館があり皆さんはそこでビザの申請を行うために
朝7時代から行列を作るわけである。
(このブラジル領事館の入っているビルの中には
ブラジリアンマーケットがあり、一歩踏み込めば
ポルトガル語の雑誌や新聞、色鮮やかなブラジルのお菓子やチキンなんかが食べられる。
日常からのトリップにおすすめである。)

どんなに爽やかな朝も、路地裏からは夜勤明けのホストが
よろよろと朝の太陽の中をよろめきながらお出ましになり、
オフィスの裏のパチンコ屋は肉感的な看板をド派手に打ち立てており、
その隣の風俗店紹介所では今日も新人アルバイトの面接が
途切れなく行われている。
銀行で働くよりも、ビラに書かれているその時給がはるかに高いことは、
言うまでもない。

少し歩けば、皇后美智子様が通われた清泉女子学院があり、
白金高輪までもそう遠くない五反田だが、
ゲトーな雰囲気満点の駅前、
その泥臭さ、生臭さは最近開発が進む六本木などとは
かけ離れたレベルで腐っている。
バナナで言えば、熟れたところをとっくに通り越して
かなり、黒い。
フグで言えば、かなり、毒が強い。

けれど、黒いバナナは甘いのだ。
毒の強いフグほど、舌の上でぴりぴりして、旨いのだ。

鳥人間は、そんな五反田に生きている。
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by akkohapp | 2007-05-16 23:58 | 花鳥風月

880919810296035

会社から帰ってきて、ようやく部屋に着いたそのとき、
携帯の画面2列になった長い番号で着信があった。
880919810296035?

とっさに、国際電話だと思い
はろ~?と出ると、聞きなれない声。
アジア風のなまりで、Is this Ms.Togami?とくるこの男、何者?
いえ~す?と答えると、受話器の向こうから名乗るその名前、
大学時代からの友達ではないか。

びっくりしすぎて、そのまま英語でどこにいんの?!と聞くと
思いっきり日本語で
「今ねーダッカにいる」

ダッカって・・・どこだっけ・・・


マイクロファイナンスのグラミン銀行で一躍有名になった
バングラディッシュからの電話。
出張中の彼の声は、久しぶりでもとても懐かしくて、
そちらの様子を活き活きと語るかんじが
子どもみたいでちょっとかわいらしかった。

でも、そんなことを言っては失礼なくらい
しっかり立派な社会人として、そうしてバンバン海外でビジネスをしているのかと思うと
友達のことなのにとても誇らしく思えた。

海外にいて、ふと思い浮かんだ日本にいる友達に
思わず電話をしてしまうことは、私にもよくあるので
そんな誰かの気持ちの中に自分も少しでも入れたのかと思うと
うれしかった。
海外に一人いて、なんとなく誰かの声を聞きたくなったり、
手紙を書いてみたりすることって、ある。


帰国したら会おうねと約束して電話を切ると
ちょうど洗濯物が仕上がって、洗剤の良い香りの向こう側に
まだ学生だった頃の友達の懐かしい笑顔が見えたような気がして
明日への元気が湧いてきた。
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by akkohapp | 2007-05-16 23:38 | 花鳥風月

祈り

久しぶりに密度の高い映画を見た。
アカデミー賞では外国語映画賞を受賞した
南アフリカの首都ヨハネスブルグを舞台にした「ツォツィ」である。

主人公の少年ツォツィ(不良という意味)は、
仲間にも自らの名を明かさず、盗みや殺人をしながら
スラムで生計を立てる。
そんな彼が盗んだ車の中から見つけたものは
生まれたばかりの赤ん坊。
赤ん坊の瞳に引き寄せられるかのように
その小さな命を紙袋に入れ、自分の家に持ち帰ることを決めてから
ツォツィの内面には小さな変化が起こるようになる。

初めて見るヨハネスブルクの町並みは、
長年住んだジャカルタのそれとよく似ていた。
街路樹には火炎樹が植えられ、駅前には揚げ物の屋台がひしめく。
突然のスコールに、人々はたじろぎもせず平気で濡れながらのんびり歩く。
ただ、ジャカルタと大きく違うのは、町中にあるエイズの看板だ。
「私たちは皆エイズに感染した エイズ患者への支援を」
そんな黄色い看板が、このアフリカの急成長都市の街角を飾る。
主人公の少年も、母親をエイズで亡くした過去を持つ。

ひとつの純粋な生を通じて、少年が自分の心の中に変化を見出してゆく過程は
時にとても荒っぽく、そして時に言葉にならぬほど繊細に描かれている。
貧困の中に見る感情は、いつも濃い味だと思う。
絶望も優しさも、声にも出さず目の色の変化だけで見事に表現する
役者たちの演技に心を奪われた。
アフリカの人々が持つ「兄弟」の絆や、それらを分断する貧富の差も
顕著に映し出されていた。

途中何度も席を立とうと思うほど、個人的に見ることが辛い作品だった。
けれど、最後まで見て良かった。

おすすめです。





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by akkohapp | 2007-04-19 23:14 | 花鳥風月

         いち

自分の内外にまったく違う世界を抱えながら毎日を過ごすようになって
そろそろ1年が経つ。
この感覚はなんというのか、
淡水の中を泳いでる魚の腹の中が海水というか、
体にくっついている物理的な目と
心にくっついている内的な目の見ているものが違うというか、
そんなかんじだ。

最初はどちらの水の中で生きるのか、
どちらの目で見るものが視野なのか判らず
どっちの水も腐るし、
どっちの目で見るものも幻想に思えた。

エラ呼吸と皮膚呼吸を両方行うみたいな
ものすごい偉業を遂げたわけでは決してないが
それでも一年ダブルスタンダードの中で呼吸をし続けて
ようやくステップになってきたのかもしれない。
そして、二つの世界がつながるポイントを
少しだけ把握できるようになったかもしれない。

数えることを始めるとしたら、ようやくここから
「いち」と数えたいかんじだ。
これまでは、全部その「いち」を言うための
深呼吸をしていたのだと思えばいい。



そんなことを思えるようになったから
新しい服を買って、髪形を変えてみたら
どエライ恥ずかしさ。
オマエ誰じゃ。。。
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by akkohapp | 2007-04-15 21:58 | 花鳥風月

Let's Go Get Them!

日本でサラリーマン生活を送っている私の生活のバランスを整えてくれているのは
やはり海外とのつながりで、サラリーマン生活が濃厚になってくればくるほどに、
私は国外とのつながりを、より強く求めるようになってきている。
通知不可能の着信や、NYとの時差13時間、
何故か広い東京の中で出逢う異なる言葉を話す人たち、
違う肌の色、
ダークカラーのスーツではなく、色とりどりの服に身を包む彼・彼女たちは
まるで緑黄色野菜みたいに私の東京での生活を豊かに彩る。

やっぱり、外に出たい。
少なくとも、こうして自由に内外を行き来できる環境に身を置きたい。
今いる場所は、ちょっと度の強い眼鏡のようで、
慣れてしまえばそこからも視界はなんとか見えるのかもしれないが
慣れない今はすべてが歪んで見え、ずっとしていると頭痛が止まらなくなる。

だからこそ、眼鏡をはずしたときに見える景色は鮮やかで、
楽しくて、少なくとも楽しそうに見え、ようやく焦点の合ったそれは
現実感を持って私に迫る。

歩みを止めずに、道を開拓しながら、目指すべき場所にたどり着く。
がんばれ、私。
がんばれ、みんな。
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by akkohapp | 2006-09-23 01:26 | 花鳥風月

社会人歴5ヶ月半

気が付いたら9月も半ばを過ぎている。
キンモクセイの香りが涼しくなった空気の中に漂い始め、
騒がしかったセミたちの声もいつの間にか聞こえなくなった。

そんなことも、大して感じられないまま、
時間は過ぎ、秋は深深と進んでゆく。

社会人になってからの半年、
自分の弱さやネガティブな面をこれまでになく多く見た。
去年の写真と比べると、随分と自信のない顔をしているなと
電車から吐き出されてからふと映った駅の鏡を見て思った。

そんなところからこそ、学生の頃には見えなかった
周りの人間の表情がよく見えるようになったと思う。

家族でも、友達でもないのに、自分のために
惜しげもなく時間や労力を割いてくださる研修所の講師、
私服のスタイルすら知らないのに、いつも私を気遣ってくれる同僚たち、
寂しいなとふと思ったときには、なぜかいつもものすごいタイミングで電話をくれる友達、
みんな、すごいなぁと思う。
私は自分のことすら消化できずに、いつもアップアップしているので
それなりに自分の身を整えた上で、他人に心を払える彼らを
本当に尊敬してしまう。

4月から、私はどんどん変化していると思う。
あまり心地よい場所に自分を横たえることができず、
それは健康的な変化でないようにも思う。

けれど、学校から出てよかった。
社会に出るってこんなにも大したことで、
こんなにも広い世界の中に自分を置くということで、
こんなにも自由で、
こんなにもスピードが速くて、
こんなにも人と人のつながりが意味を持つということで、
こんなにも全体で、
こんなにも一人
なのだ。

経済学入門を途中でドロップした私が、
金融やらマーケットの世界にいるということだけでも
ちゃんちゃらおかしいのである。
ゼロが四つ以上付くと、いまだに一生懸命数えてしまうし
電卓を打つよりも携帯のメールを打つほうが速い。
それでも、やれFOMCだ、CPIだ、地価だ、と新聞を追いかけ、
日経平均を目で追えるようになっただけでも
大した進化じゃあないですか。

とにかく、これでいいんだ。
絶対これでいい。
私は必ず正しい人たちと出逢い、正しい道を歩んでいる。
そんな自信だけは、意味もなく常にあり、
それだけが私を明日へ明日へと動かし続けているのだと思う。

泣いても笑っても、社会人って絶対に面白い。
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by akkohapp | 2006-09-23 01:13 | 花鳥風月