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カテゴリ:race and ethnicity( 17 )

島歌論

私が長年住んでいたインドネシアは、
いわずと知れた島嶼国家であるが、インドネシアには
いまだに多く、「幽霊」や「精霊」、「魂」といった概念たちが生きている。
例えば、日本人を含め、外国人駐在者は現地でお手伝いさんを
雇うことが当たり前のことだが、そのお手伝いさんがある日突然
仕事を辞めたいと泣きついてくるので
その理由を問いただすと、「お化けがでるんです!!!」と
真剣に訴えてきた、という話を聞いたことが何度かある。

また、街中には"magic~"と何故か「呪文、魔法」を
意味する単語を頭につけた看板がある。
それらの店は、文字通り魔術を使って人生相談から
車の修理、はたまた歯の治療まで承ってしまうスーパー魔術屋である。
もちろん、車専門魔術店、歯治療専用魔術店、と分かれてはいる。
聞く話によると、車専門店では魔術と請け負っておきながら
商売内容は、神田うのが「へっこんだーらカーコン♪」とCMしている
あの車修理事業となんら変わりなく、ようするに
凹んだところが「魔法のように」きれいに直る、ということで
"magic mobile"であるらしい。
その道理で行けば、入れ歯の絵が描いてある看板の
"magic gigi(インドネシア語で「歯」の意味)」も
恐らくは「魔法のような仕上がりの」入れ歯ができるということなのかもしれないが
イメージが車より湧きにくいことは確かである。

これらの例が表すように、(?)
インドネシアは大都市ジャカルタにおいても
どこかに精霊や魂の存在が今も息づいており
それを人々が自然体で生活の一部にしている姿が見受けられた。
バリやほかの孤島に、体や心が弱っているときに安易に行ってはならない
というのも、心や精神のスキをついて悪霊が入り込んでくるからだ、と
真剣に大学時代のインドネシア語の先生にも忠告された。

このような精神信仰的性格は、四方を海に囲まれ、様々な潮流が交じり合う島国特有の
地理的条件からくるところが大きいのではないかと思う。
潮の流れに乗って、様々なものがやってきては交じり合うからこそ
多様性を柔軟に受け入れつつも、自分の心は真っ直ぐに保っていなければ
もって行かれてしまうよ、という忠告にも聞こえる。

バリの有名な伝説は、バロン(聖の象徴)とランダ(悪の象徴)が
島の周りをぐるぐると回りながら永遠に終わらない追いかけっこをしている
というものである。
他の宗教、文化に多く見られるような
善は勝利し、悪は敗北する、というスケールでは収まらず
善悪は常に共存しつづけるのだ、という理論が
非常にインドネシアらしいと思う。
常に終わらない葛藤を持ち続けていてこそ
人間じゃないか、というバリのメッセージである。


これらのインドネシアの性格を、照らし合わせたいのが
カリブの島々の性格である。
先日サッカーではトリニダード・トバコが旧宗主国である
イングランドに果敢に挑み、結果惜敗したが、
ハワードに留学して以来カリブに多く友人ができた。
これまで全く関わりがなかった地域からやってきた彼らと
自分がなぜこんなにも「クリック」しやすいのかと考えてみると
やはりこの「島的」共通項によるところが大きいのではないかと思うのだ。

時間の流れ方が、東京の半分のスピードで生きている彼らだが
とにかくおおらかである。
肌の色論やら、国家論やら、そんな差異化の根源について
多く知りたいと思ってきた人間にとって、
彼らほど異質なものを素早く受け入れ、また自分の一部として
吸収する人たちとめぐり合えたことは
大きなパラダイムシフトを生んだ。
「色んなもの、変わったものが同時にあっていいじゃない」
そんな彼らのスタンスが、どれだけ私を安心させただろう。

彼らと時間を過ごす中で、彼らが多く使う言葉の中に
「vibe」という単語があることに気付いた。
「初めて会ったときから、君からは良いvibeを感じたんだ」
とか
突然無口になった友達に、どうしたの?と尋ねると
「今あっちのほうでものすごい悪いvibeがした気がした」
とか、そんなシックスセンスな展開に慣れない私は最初ビクビクしていたが
彼らにとっては「別にフツー」のことらしい。
日本に帰ってきてからも、突然携帯にメールが来て
「大丈夫?」とだけ書いてあるから、
「うん、別に?なんで?」と返信すると、
「誰かが泣いてるからキミかと思って」と返事が来て
こっちまで心配になったりした。

なぜそんな感性的能力があるのかを尋ねたところ
「知らない。でも海に向かって自分を開いてると、自然にわかる」のだと言う。
「15歳くらいのころはその能力が際立って高まってしまって
眠れなくなったりして大変だったよ」
と友達の一人が言う。
オマエいつも寝てばっかで全然感性研ぎ澄まされてるかんじじゃないじゃないか!
と内心ツッコミたくなりながらも、なんだか笑い飛ばせなかった。

同じく島国ニッポン出身の私は
全くそんな能力が欠如している自分を省みて、
どこでそんな力を忘れてきたのかな、と思ったりもする。
元々太古の記憶として、どの人にも備わっている能力なのかもしれないが、
文明社会の中での生活の中で、いつのまにか洗い流されてしまうのか。

善も悪も、黒も白も、明も暗も、全て
そこにあるものとして受け入れ、
自分を両面から受け入れたとき初めて、
そんなvibeを感じる力を身につけられるのかもしれない。
資本主義が強くにじみ出る社会の中では
あれもこれも、とゴチャゴチャ言っている暇はなく、
与えられた画一性の中で高いパフォーマンス能力を発揮してゆくことこそが
vibeで感じるよりも確実な明日を掴めることだと信じられているけれど。

でも、忙しい生活の中でふと心が開く瞬間、
そんな時を見計らって、自分の奥底に眠る島力を磨きたいと思う今日この頃だ。
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by akkohapp | 2006-06-18 02:20 | race and ethnicity
大江健三郎の「飼育」に続いて、松本清張の「黒地の絵」を読む。両方とも戦争っていう暗い時間の流れの中で「日本人と黒人」(この並列関係は正確ではないけれど、実際本の中ではそういう描かれ方をしている)が交わるべきではない方法で交わってしまって生まれた悲劇を描く。
「日本人」(国籍による括り方は文明、civil societyの枠の中で人間を区別する)によって描写される「黒人(人種による括りは、より生物学的で、動物的に人間を分別する)」はとても動物的で、肉体的で、官能的で、それ以上のものは微塵も存在しない。「飼育」では、村民によって「飼われる」ことになったアメリカ黒人兵の様子が、まさに飼育対象として描かれる。子供の視点から描いていることもあって、その子供が飼育している「動物」の前で「屈辱を感じる」のくだりが、捕らわれた兵士の人間性が微塵も存在しないことをよく表していて残酷だった。ニコールキッドマンが出ていた”Dog Ville”も、放浪していた美しい女を村人たちが飼う話だったけれど、そこにはまだ破壊されてゆく彼女の人間性が存在していた。屈辱を受け、酷い仕打ちを受けるだけの人間性を彼女は最初から最後まで保持していた。人間性があるから、屈辱を受け、酷い仕打ちを受けるのだ。そういうものが最初から存在しなければ、「それ」はただ餌を与えられ、糞尿の始末をしてもらうだけのものであって、「それ」以上の何でもない。「それ」は決して「彼」にはなり得ない。

戦争は、敵の人間性を消去して、物体化したり、動物化することで続く集団殺戮だけど、それだって「敵」というだけの人間性を相手は持っているような気がする。残酷なことをして苦しませようとする行為は、相手が感情を持っていて苦しむことを知っているからすることであって、そこで人間性を肯定している。

けれど、「飼育」の中で村に飼育される兵士にはそんなものが一切ない。本国の彼の出身地はどこなのか、兄弟はいるのか、恋人がいたんじゃないか、名前は、年齢は・・・そんなレベルで消去されてるんじゃない。彼は笑うだけで「驚愕」され、苦しむだけで「凝視」される対象でしかない。ここまで人間性が抹消されている理由は、やはりどうしても人種に還元されることで、もしもこの兵士が白人だったら、村人はそれを「捕虜」として「彼」として捕らえたんだろうと思う。この兵士が黒人だったから、そこに人間として持っているものがあるはずがない、ことを前提に村に「飼われ」たのだ。

「黒地の絵」は人間性のレベルについては「飼育」よりもずっと上だろう。けれど、やはりその対象が「黒人」だという点で、相手を動物化して描写することが容易になっているのが見て取れる。平穏に夏の夕餉を過ごしていた夫婦の家に、まさに野獣のごとく押し入ったアメリカ黒人兵士に妻がレイプされるところから物語が始まる。これが白人兵だったら、あんなに動物的で肉体的な描写はないのではないだろうか。

二編を読んで強く感じたのは、言葉が分からないこと、コミュニケーションが取れないことは、人間性を奪い取るに致命的な点なんだということ。もちろん、言葉以外にも通じ合うことを隔てる壁はいくらだってある。同じ国民、同じ人種、同じ言葉をしゃべっていても、つながれないことは多々あるし、悲しい歴史の中では、そういう同じ箱の中でも人間性を無視した殺戮が繰り広げられてきた。けれど、肌の色が違う、体格が違う、髪の毛が違う、臭いが違う、そして言葉が違う「何か」が目の前にやってきたとき、人はそれを「人間」と認識しない。それは何か他の「動物」であって、決して自分と同じ標準に立ちえるものだと感じることはない。

・・・そんな時代がたった60年前だなんて、ショックだ。
「黒地の絵」の舞台は小倉だった。1950年7月11日に起きた250名の黒人兵の脱走に伴った実話だ。父の実家のすぐそばであることがさらにショックだ。祖父母は恐らくこの夜のことを知っているのではないか。そう考えると落ち込む。だって、私にとってもう肌の色はその人を少しも定義するものではなくて、言葉を使ってお互いが考えることや感じることを交換して、それ以外の当たり前が存在しないくらい、そんな日常の中にいるから。けれど、きっと祖父母の世代では認識の感覚は恐らくあのころと一緒で、肌の色はその人の位置付けを決定するのに重要な要素なんだろうから。そして、きっとその位置付けの標準は、戦争のころの記憶に強く交わってる。

一方で、Markのscreen messageが”they lynched a black man in Carolina and they got fuckin 6 years?! That’s fuc*ed!!”ってなってる。何が起きたの?って聞いたらthey tried to hang a black kid って言った後に、I don’t want to talk about it reallyって言ったからok, I understandって言って会話をやめた。

グローバル化がすすんで、人権やら権利やら確立されてるみたいな今の時代に私がこの作品を読むと泣き叫びたいくらいショックを受ける。そうやって時間は流れて人と人のつながり方はすごく変わってきてるのに、今のアメリカではまだ60年前と同じ憎悪がどこかに流れてて、そこだけ時間の流れから疎外されているみたい。環境が人を変えるのか、人が環境を変えるのか、分からないけど、21世紀を一緒に生きているメンバーの一員として、その時代の恩恵を受けてない人たちを心から不幸に思う。恩恵ばかり与えてくれる時代じゃないからこそ、その恩恵を受けていない人を残念に思う。
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by akkohapp | 2006-01-20 01:29 | race and ethnicity

Hotel Rwanda II

全くスケールが違うけれど、98年に起きたジャカルタでの暴動を思い出した。
市街地コタが焼かれて煙が上がってるよ、と友達が言うのに興奮して、
日本人学校に一晩閉じ込められた妹を迎えに行く際に父親が持っていった
出張者からのおみやげだった三笠山のどらやきを惜しみ、
深夜2時の臨時便で日本に緊急帰国することの非日常性を
心から楽しんだ私の記憶と、
ルワンダの惨状をオーバーラップさせるなんて到底不可能なことだ。
それでも、映画の冒頭に映し出された住み慣れた街が
市民によって破壊されてゆくことの恐怖、
平穏な日常の中では見えない暴力の影は、
自分の細胞の中で眠っていた記憶を呼び覚ました。
車が人波の中で立ち往生することの恐怖や、
外見や肌の色が違うから攻撃される可能性がある不穏は、
私も経験したことだったのだ、そういえば。

争いの種はそれぞれの紛争や暴動によって違うけれど、
紛争や暴動の根底には、いつも「フツーの市民」がいる。
加害者であり被害者である彼らだけど、
政治に利用されていることに気づかず、
調子に乗って石を投げたりナタを振り回したりしているうちに、血溜りの真ん中にいる。
教育がなくて、貧しい人が多い。
政治とは普段は無縁な彼らが、争いの火車に乗って子供の首を切り落とし、
妊婦の腹を割き、女をレイプするのは、インドネシアでもルワンダでも一緒だ。

人間の暗さを考える。


講演会終了後に、後ろに座っていた黒人の女性と話してみる。
驚いたことにルワンダ人だという。
英語にまったく訛りがなく、しぐさや装いが欧米風だったから、
海外で教育を受けたのかもしれない。
美しく、聡明な女性だった。

「映画に問題はなかったけれど、彼の言っていることにはずいぶん誤謬があると思う。
フツ政権がツチ政権に変わって、権力がシフトしただけだと言っていたけれど、
そんなことない。
10年の間にルワンダはずっとずっと良くなったのよ。
彼はベルギーに亡命したからルワンダの情勢を全然知らないのよ。
こうやって映画でお金を儲けて、世界各国を飛び回って講演会を何百回としてるけど、
自分の足元が見えていないわよ。歴史は複数ある。
一つの歴史にも常にいろんな『史実』があることを忘れちゃだめね。」

10年前彼女は何を見たのだろう。彼女は、フツなのか、ツチなのか、聞けなかった。

"I want you to take Hotel Rwanda as a wake-up call.
I want you to take a message from Hotel Rwanda,
and be a messenger.”

彼の舌の上をなめらかに滑りすぎているそのメッセージは、
無数の国の壇上で何百回と使われてきたものに違いない。
それでも、きっといい。

アフリカに何ができるのか、ではなくて、アフリカで何が起きているのか、
スペクタクルとしての残虐性を
安全で温かい「こちら側」から一方的に見るだけではなくて、
人々があの「暗黒大陸」と呼ばれた土の上で、
何に慈しみを感じ、何を見て美しいと思い、何を信じて生きているのか。
どんな音を聞き、どんな風をおいしいと思っているのか、
そんなことを共有することが、
手首にからまる色とりどりのゴムのバンドより強く、
アフリカと世界を結びつけることになるんじゃないだろうか。


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by akkohapp | 2006-01-06 23:28 | race and ethnicity

Hotel Rwanda I

顔が熱い。
電車の暗い窓ガラスに映った目は腫れぼったくて、頭がぼーっとする。
こんなに泣いたのはいつぶりだろう。

『ホテル・ルワンダ』の試写会は思ったよりもずっとインパクトが強くて、
上映時間のうち6割は泣いていたと思う。
感情から「泣く」というよりも、もっと生物的に目から水が漏れてくるかんじなのだ。
映像として目で見ているものが、脳に伝わって、いろいろ考えたりする前に、
目から勝手に涙がこぼれてきて仕方がなかった。

フツとツチを肌の色や身長、鼻の形で区分し、
それによって統治形態や社会制度が決定される。
私の中枢に一番訴える不正義のかたちだ。

妹を背中に負ぶいながら、フツ族の殺害者に訴えた女の子。
「お願い殺さないで、ツチをやめるから!」
ひとつの種族の根絶のために、
民族のアイデンティティーのかけら、
尊厳を粉々に打ち砕くことがジェノサイドの目的ならば、
その目的はもう完璧に達成されているのに、
ツチ族の子供たちは皆殺しにされていった。

94年、私は、世界は何をしていた?
一度でも、ルワンダでの惨状をオンタイムでテレビで見たことがあった?
新聞の隅に、その記事を認めたことがあった?
どうしてこんなに無知で生きていられるんだろう。
どのくらいのことを知らずに暮らしているんだろう。
突然足元が全部スカスカの虚構のように思えてきて怖くなる。
映画上映後に、物語の主人公であるポール・ルセサバギナ氏の講演があった。
ついさっきまでスクリーンの中で「スペクタクル」だった「殺害」が、
生身の人間の口から紡ぎだされる。

ジュースを作るためのバナナを入れておくために掘った穴の中に、
妻の親戚の死体が転がされていたこと。
「バナナジュースを作る」という日常の中の
小さくても温かい幸せが詰まるはずだった穴の中に、
冷たく横たわる死を見て、彼はどうやって正気を保つことができたのだろう。

「見渡す限り、死体の山で生きているものは何もありませんでした。
唯一生きていたのは犬で、遠くからでも犬が吠えているのが聞こえました。
死体に群がるために犬が争っているのが聞こえました。」
人間の記憶は奇妙なもので、信じられない光景を前にしたとき、
後々まで覚えているのはきっとその時に自分が着ていたシャツの柄だったり、
犬の鳴き声だったりするのだろう。

たった数時間の間にも、“kill”という言葉や、
殺された人々の数字の大きさにどんどん慣れてくる自分に気がつく。
「6人すべての孫が殺されて」と聞いても、その「6」にすでに感情が入らず、
ただ、数字上の情報としてしか吸収されなくなってくる。
たったこれだけの時間でも、「死」や「殺害」の音やイメージは会場を満たして、
私たちオーディエンスを飲み込んでゆく。
狂気が普通に、普通が狂気になった世界で、
どうやって彼は人間としての正しさや自分が信じるものを持ち続けていられたのだろう。

映画が世界各地で上映された昨年、氏は100を越える講演会を世界中で行ったという。
どの会場も3千人、4千人の人で埋まっており、
自分のメッセージにこんなに聞き入ってくれる人がいて嬉しかったと彼は言っていた。
多くの人が彼をモデルにした映画に涙し、彼の一語一句に聞き入ったことだろう。
実際に殺戮が行われ、
100万の命が毎日毎日隣人の手にするナタによって刻まれていたとき、
アメリカではヒップホップがオールドスクール全盛期を極め、
経済界はITバブルに沸き、
人々は温かい食卓を前にニュースをチラリと見ながら
”oh that’s horrible”と言っていただけなのに。

結局のところ、自分も含めて人々は「スペクタクル(見世物)」として
製造された惨酷性しか見たくないのかもしれないとふと思う。
ディズニーランドのホーンデッドマンションに行きたい心理も、
この映画を見たい心理も、根本のところは変わらないのかもしれない。

「私が一番悲しく、辛く感じたのは、
スーダンのダルフール紛争地帯の視察から帰る途中の機内でニュースを見たときです。
ニュースでは終戦60周年を機に、
アウシュビッツの悲劇を二度と繰り返さないと誓う記念会の
模様が取り上げられていました。
先進国各国の首相は”never”と”again”という二つの単語を繰り返し使って、
歴史から学ぶことの重要性を説いていました。
しかし、今私が見てきたダルフールの有様は、
94年に私がルワンダで体験したことそのままだったのです。
歴史から学んでいる人なぞ、誰もいないじゃないかという気持ちになりました。」
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by akkohapp | 2006-01-06 23:18 | race and ethnicity

1955

Sending my deepset condolences to Rosa Parks.



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by akkohapp | 2005-10-25 22:47 | race and ethnicity

Malcolm X

ハーレムのストリートは「道」ではない。
他の場所では、ストリートは「通るもの」であり、
常にそこは通り「過ぎてゆく」ものなのだが、
ハーレムでは違う。
決して快適とは言えない蒸し暑い気候なのに
みんなストリートに椅子を持ち出して
何をするでもなく、ただ座って仲間と談笑したり
ただただ道行く人を眺めたり。
ハーレムでのストリートは「座るもの」であり、「遊ぶもの」であり、
「食べる場所」であり、「音楽を聞く場所」であり、
決して過ぎ行くものではない。
静止しているそこは「場」であり「道」ではないのだ。

そんなことを考えつつ、部外者の自分にとっては
あくまでも「道」であるだけのストリートを10ブロックほど歩く。
135丁目のSchomburg Center for Research in Black Cultureには
Malcolm Xの生涯の布石が数々の写真と共に展示されていた。
本で読んだ通り、小学生の彼はクラスに一人の黒人。
最後列で笑うその顔は、明らかに他の子ども達と違う何かに囲まれていて
才能やカリスマ性というものは、やはり先天的なものなのかと思う。
あんなにハッキリした目をしている小学生は、まずいない。
興味深いことに、ストリートでゴロツキのようなことをしていた頃の彼の写真には
その目の中に鋭さが見られず、人の英知はこんなに外見に現れるのかと驚いた。

Nation of Islamに傾倒してゆくMalcolm。
ついさっき歩いてきたハーレムのストリート、コーナー、そこここで
たくさんの人々に囲まれて演説をしている。
白人の女性と関係を持ったことで刑を課せられた彼は
受刑中に辞書に載っている単語を最初から最後まで覚え
教養を身につけたという。
彼を取り囲む人々の目のイキイキとしていること。
サンタを見る子どものような顔つきで、彼のスピーチに聞き入っている。
貧しい生活を送る中で
自分のアイデンティティや、過去に阻まれている時に
Malcolmのような人が流星の如く現れて、
「自分自身にプライドを持て!」とか
ちょっと小難しく、頭良さげに堂々と話し始めたら
そりゃあみんな勇気付けられただろう。

白黒写真の中にみるMalcolmは、どの姿もシャンとしていて
眼鏡の奥には賢さが溢れている。
群集の中にても、そのカリスマ性がビカーっと発信されているんだけど
その一方で、長身の背中のどこかに
全ての人が感じる寂しさや、家族への愛、
愛する者を守りたいという当たり前の弱さも見て取れて
そんなところに人々は魅かれたのではないかと思った。

唯一あったカラー写真は、中東を訪問した際にとられた
モスクの中で祈る彼の姿だった。
一人の人間としてとても脆そうで、
けれど祈りはとても強くて、
たくさんのものと戦い、多くのものを背負いながら、
そうして静かに神を信じ、それに話しかけている姿は
あまりにも無防備で、美しかった。

Nation of Islamと対立し、教団を脱退、
一人になったMalcolmと公民権運動の隆盛、
そしてハーレムでの暗殺。
4人の子どもを持ち、さらに双子を妊娠しながら
目の前で夫を亡くした妻の横顔は
まだ悲しみが追いついていない表情であるようにも見えたし
こうなると分かっていたわ、と悲しみを呑み込もうとする顔にも見えた。

涙が出てきて、鼻をすすりながらカラーの写真をもう一度見て、
会場を去った。

思ったとおりの声だったMalcolmの声が
TVから流れ続けていた。
低くもなく、高くもなく、ハッキリとした発音。

彼が多くの人を惹きつけ、彼らの魂を揺さぶったのは
当然のことだったことがよくわかった。
その証拠に、今もハーレム中からこんなにも人が
この展示場に集まっている。

静かな英知を持ち、過激な言葉を飛ばしたMalcolm X。
今もハーレムのハートとして、人々の心の中に生き続けている。
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by akkohapp | 2005-09-17 20:44 | race and ethnicity

Juneteenth

1863年1月1日、第16代アメリカ大統領アブラハム・リンカーンによって発表された
奴隷解放宣言( Emancipation Proclamation)は公式に有効となったが
奴隷制支持者が多く、また北部連合軍の配置が少なかった南部、
テキサスを中心に、奴隷解放宣言は実質として影響を及ぼすに至らず
多くの黒人が依然として奴隷のままプランテーションでの労働を強いられていた。

リンカーンによる奴隷解放宣言から2年半、
南北戦争は北部連合軍の勝利によって終結し、
1865年6月19日、連合軍を率いていたGordon Granger将軍が
テキサス州のGalvestonに到着。
戦争が終結したことを公式に発表すると同時に、全ての奴隷は自由であると言い渡した。

このことから、6月19日は奴隷解放を祝う最古の祝日、Juneteenthとして
アメリカのカレンダーに刻まれることとなる。

・・・というわけで、本日はJuneteenth、
しかも祝日が設定されてから今年で140年という記念すべき日なのである。
調べてみるとJuneteenth World Wideという公式サイトまであり
全世界各地でアメリカ黒人が辿った奴隷の歴史を顧みるとともに、
「黒人の誇り」を映し出すようなイベントが行われている模様。
日本では主に米軍基地でのイベントが毎年恒例のようだが
内容は・・・"Juneteenth and R&B Night"
ってただのパーティーじゃないのかぇ・・・??

このJuneteenth、伝統的な食べ物まであるようで、
ストロベリーソーダとバーベキュー、が定番メニューとのこと。
なぜストロベリーソーダなのかというと、単純に
「おいしいから」らしい・・・
誰かがJuneteenthの祭りごとにストロベリーソーダを持ち込んだところ
あまりにも美味しくてそれ以来この飲み物を飲むことが習慣になったとか・・・
そこには歴史の意外性もなにもなく、ただただ人間の喜ぶ顔があるわけなのであ~る。


私はというと、アメリカ人とバーベキューをする予定もないので
"Roots"を見てJuneteenthイブを過ごしてしまった。
この"Roots"70年代後半にアメリカ全土で放映され、1億3千万人が見たという
伝説的長編ドラマである。
1億3千万て言うたらあーた、日本総人口じゃないですか!

アフリカの地で白人によって捕らえられ、奴隷としてアメリカ南部に売られた
クンタ・キンテという少年を通じて、19世紀のアメリカ奴隷制の歴史を露呈したもの。
授業で見る機会があったのは良いが、拷問のシーンなど
耐えられるものではなく、90分の授業が終わった後には
泣きはらした目でそそくさと教室を後にしなければならず
非常に恥かしい思いをした。

今回改めてこの作品を見て思ったこと・・・
ムム!!このかんじ、何かに似ている・・・・!!!

そう、このかんじは正に「おしん」を見るかんじ!!!
アレである!!!

奴隷制という日本人に馴染みのない歴史をまざまざと見せつける
ヘビーなものであるにもかかわらず、なぜか"Roots"に懐かしさを覚えるのは
身売り、いじめ、貧困、そんな中にちりばめられる
人と人との触れ合いや優しさ・・・ といった「おしん」の世界に見る
設定との類似性からかもしれない。

とは言うものの、もちろん「おしん」は自分の肌の色によって
差別されることはないわけで、
一生懸命働いた暁に
彼女の子供は何の不自由もなく物質的には豊かな生活を享受することができた。
しかし、クンタ・キンテの子供達、そして孫達、そのまた孫たちは
肌の色のせいで生涯に渡る苦悩と苦難を強いられることとなり、
その現状はいくら彼らが打破しようと努力しても変化を起こせるものではない。

それにしても、馬車で娘が白人のプランテーションに売りさばかれて行くシーン、
あれと同じようなシーンは絶対に「おしん」にもあった・・・
「おしーーーん!!!!」
「かぁちゃーーーん!!!!」
(涙)
(涙)
(涙)

↑↓
"My Baby!!!!! No!!! Please!!!"
"Mamaaaaaaa!!!!!!!!!Nooooooooo!!!"
(涙)
(涙)
(涙)


しかし、夜な夜な女中部屋に主人がやってきて
レイプするシーンなぞ「おしん」には絶対存在しないので
"Roots"をNHK朝の連ドラと比べるだなんてナンセンスも良いところに違いない。


そんなわけで、Juneteenthである。
140年の歴史は、浅くて深い。
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by akkohapp | 2005-06-19 02:28 | race and ethnicity

人種学

黒人差別の指摘でCM中止 化粧品のマンダム Excite エキサイト : 社会ニュース
↑↑本日エキサイトにて最もトラックバックが多かった記事第四位。
(順位はこちら。)

見てみると21件もトラックバックがあったので、一通り目を通してみた。
21のほとんどのブログにて、
【黒人を「猿人類と同等とみなしている」と指摘】(6月14日付朝日新聞)
という一文に感じられた大きな違和感が書き示されていた。
要するに、人権保護団体こそが、黒人を「猿人類と同等とみなしている」と
認めているようなものじゃないか、というわけだ。
視聴者はそんな印象を受けずに眺めていたはずのCMなのに
人権保護団体がしゃしゃり出て自らのバイアスを振りかざして騒いでいる・・・
21のブログにはそのような「奇妙で過剰な人種差別への攻撃」の構図が示されている。

このトラックバックをした方々の多くはこのCMを見ていないと
ブログ上に書いているが、私は見た。
一度だけ。
そして、何か、感じた。
何と言うのだろうか、こう・・・「間の悪さ」と言うのか、
ちょっと何かが自分の神経の先っちょをかするような変な感じ。
これは絶対にアメリカでは放送されないだろうな・・・
そう思った。
その後このCMを見ることは二度となく
昨日の朝刊に放映中止の文字を見つけたときは、そうだろうな、と
何の疑問もなく思った。
そして、それは世間一般にそう受け入れられるはずの結果だと自動的に思った。

そんな風に感じたニュース記事だったので、21の他のブログに見た
この記事への感想はとても意外なものだったけれど、
同時にそれは人種への感性、感覚の違いを大きく表す結果なのだと理解した。

ある特定の事項について、深く広く知りたいと思うからこそ勉強したり
研究したりするのだろうけど、結果としてこれらのことは
その事項について多くの判断・思考材料を与えると共に
一般の人ならば持たなくてよいはずのフィルターや先入観を
かなり与えることになるのだと思う。

それが、人種、文化というカテゴリーになるとかなり厄介なことになるかもしれない。
例えば、アメリカ人が日本文化について研究し、たくさん本を読めば読むほど
日本人特有の「奇妙な」習慣や、文化、日本人というステレオタイプについての理解も
嫌でも深めることになるだろう。
日本文化、日本人について深く広く知りたいと思えば思うほど
学問の持つ既存の枠にとらわれてゆくことを避けられない。
Afro-Amrican StudiesやWhiteness Studiesといった
人種に関連する研究にも同等のことが言える。
人種に追随する歴史や倫理観を知ることによって
繰り返されてきた差別を撤廃することを目的としたり、
人間の中に無意識に埋め込まれている異人種への「何か」の感情について
知りたいと思うからこそ、このような学問分野が発達してきたからに他ならない。
けれども、特定の人種や文化に興味を持ち
私ってばこんなに深いところまで目を向けていて、
人種差別、文化のステレオタイプ化なんて絶対しないワ!
とか言ってみたところで生ぬるい。

所詮は何かもっと感覚的なところで
そのある特定の人種や文化、歴史に対して
人間らしい感情や気持ちを揺さぶられるから
地域研究や文化研究に没頭するわけなのだろうが
それだって「差」「別」だ。
「差」「異」化してる。
その「差」「別」「異」化が恐怖、憎悪、嫌悪によって括られたとき、それは「差別」になるし
それらが好意や興味、友好の気持ちによって括られれば「差別」ではない
というだけの話だ。

自分はこのマンダムのCMを見て
違和感を感じたし、放映中止になったことについても深く納得した。
これは自分の中に存在する「人種コード」が日本人一般よりも繊細であることを
明確に表したが、それは同時に私の人種観、つまり人種にまつわる「差異化」フィルターが
強いという事実を抉り出したのだと思う。

人種について、全くの差異化が存在しないことをカラー・ブラインドと言うが
多分これは人種間において経済レベルに格差がなく
更に人種にまつわる歴史を教えないような他人種混合の環境においては
ある程度達成できるのではないかと思う。

逆に肌の色恐怖症(カラー・フォビア)は
人種間の経済社会格差が存在し、
人種差別の歴史を持つコミュニティーにおいて
より顕著にみられる現象であろう。

今回のCM騒動について、このCMが放送されたこと、
そして中止になったことに対して大袈裟だと感じた多くの人の
意見を考慮すれば、日本は人種に対して強い感情を抱いている国でないことは
明確であり、それは同時に多様な人種に対する意識の低さを露呈していると思う。
これは他人種に対する尊厳もあまりない代わりに、フィルターもないという事実を
映しているのではないだろうか。
一方で、常に人種への高い意識を持ち、他人種への尊厳を謳っているはずの
アメリカには日本では考えられないほどの
「カラー・フォビア」が隠れていることは事実であろうし
またアメリカの人種差別の歴史を紐解くことは、人種差別の排除を目的とすると同時に
肌の色の持つ意味について、社会的な強いフィルターをかけてしまっていることは
否定できないのだと思った。
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by akkohapp | 2005-06-16 00:53 | race and ethnicity

T.G.I.F. / H.B.C.U.


「今夜何も予定ないなら遊びに行かない?」
気だるい金曜の昼間、コピー室でバッタリ会ったヴァーサに誘われて
お金もないくせに頷いてしまった私。
「やった!じゃあ11時に六本木ねー!」
ってオイ!六本木かよ!!
しかも11時ってことはオール決定か・・・

ああー疲れそうだなーとつぶやきながらも
今夜着てゆく服の色ばかり考えて、そんなことをしているうちに
午後の授業が終わってしまった。

あっという間に10時。
一週間の労働を終え、たくさんの疲労感と少しの開放感を顔ににじませた
背広姿の人たちを尻目に、ヒールの踵で電車から飛び降り、
地下鉄の階段を上がれば、もうそこは金曜日夜の国だ。
缶ビールを片手に陽気に群れる白人のおじさんたち、
ブルーのドレスを着たキャバ嬢を追い越して、待ち合わせ場所に向かう。

今夜のお仲間たちは総勢10名。
全員が集まるまでに軽く1時間が過ぎるが、その間
上智の比文学部生が束となって通り過ぎて、次々と挨拶を交わし合う。
みんなすれ違うたびにお互いの装いを褒めあい、
軽やかな足取りで交差点を渡ってゆく。
六月最初の金曜日の夜が楽しいものになりますように。

最後に到着したブライアン。
赤のポロシャツとジーンズというシンプルな格好。
もっとお洒落してくるかと思ったのに。
「とにかーく!店に行こう!!ディスカウントが終わっちゃうよ!」
急かすヴァーサにくっついて、ご一行お店へ到着。
エントランス料を渡して、黒いカーテンの奥に進む。

ところが、黒いカーテンの奥にあったのは、更なる黒い世界だった。
ぼんやりとオレンジ色にライトアップされカウンターの上にあるフライヤーには
School Days: HBCU graduates discount との文字が見える。
(HBCU:Historically Black College and Universityの略。)
アメリカの黒人大学卒業生のための社交イベントだったのだ。

テーブルにはレモン付きのコロナではなくて、シャンパンのボトルがズラリと並ぶ。
男たちは映画に出てくるようなクラシックな帽子を黒のスーツに合わせ、
キッチリとタイを結んでいる。
彼らが燻らす葉巻の濃厚な香りがフロア中を包み、
胸や背中が大きく開いたドレスを着こなした女たちが交わす言葉は
シャンパンの金色の泡のように湧き立っている。
キッズのためのお遊び場ではなくて、
正装した大人のための半分公式なソーシャル・ネットワーキングのイベントに
ウッカリ混じりこんでしまったことに今更ながら気がつき、
自分がここにいて良いのか、と不安になる。
それは、やや厳しいドレスコードを満たせていないことだけが理由ではない。

「ねぇねぇ。。。私ここに来てよかったわけ??
だって私HBCUのどこかに留学したわけでもないんだよ・・・?」
不安になってシャンテルを突っつくけど、
彼女は白い歯をニッと見せて笑うだけ。
「私だって違うもん!ヴァーサがお店のマスターと知り合いらしいから大丈夫だよ!
そんなことより楽しもう!」と取り合ってくれない。
だって・・・そりゃアンタは肌の色がここのコードにちゃんと合ってるけどさ・・・
纏うドレスの色以上に、肌の色のコードは私にとって意味のあることのように感じられた。


ヴァーサやエリーが在学しているHoward Universityを筆頭に、
アメリカ合衆国には多くの黒人大学が存在する。
南北戦争が終わりを告げ、奴隷解放宣言が下されてから
解放された奴隷(freedmen)から教育者を育成するための機関として発足された
それらの学校は、W.B.Du Boisら多くの黒人先導者を輩出し(Fisk University)、
NAACP(National Association for the Advancement of Colored People) など
多くの公民権確立を目指した機関が、HBCUの卒業生によって創設され、
促進されたと言って良いだろう。
もちろん、現在はそれらの大学はHistorically Black、であるというだけであり
どんな人種であろうとも入学することは可能であるが、実状的に在学生の大半が黒人である。
"BRIDGING CULTURES"といったようなスローガンがホームページのトップに
見られるのも、HBCUの特徴かもしれない。

異文化、異人種間の融和・融合が進む現在、未だに教育機関が
肌の色を表看板に出し、実際にもそれらの大学が黒人の大学となっているのは
当初不思議なことに思えた。
しかし、女子校、男子校が存在するのと同等のレベルでそれらは堂々と存在し、
人種にまつわる歴史や誇り、そして文化の尊重を基盤としながら
"Black College and University"の伝統を脈々と伝え継いでいるようだ。

考えてみれば、表看板に「黒人学校」と出さなくても、
地域によって人種間の棲み分けがされていることは明確な事実であるし
当然、小学校、高校と肌の色に偏りがある学校が合衆国津々浦々存在するわけである。
よって、大学という高等教育レベルにいたっては、
「黒人大学」という看板を堂々と掲げた上で、
アフリカ系アメリカ人が辿ってきた歴史や、合衆国における人種観形成の過程を
専門的に売りにする教育機関が出てくるのは自然な流れだろう。



・・・と、こんなに漢字が多い文章を書いている場合ではない。
深夜30分を回る頃には、肌の色も服の色も気にする場合ではないほど
フロアは沸き上がり、MCが気合を入れる暇なく、たくさんの肩が、尻がバウンスする。

黒人の女の子の体ってどうしてこんなに美しいのだろう。
細い手足と、まぁるいお尻。
すっごい時間かかっちゃった!とはにかんでいたエリーの髪の毛は細く綺麗に編まれて
清らかなおでことクリっとした目が目立つ。
スリムジーンズがモデルばりに似合うニヴェアはちゃっかりビーサンを持参していて、
いつのまにか黒いエナメルヒールを履き替えてドンドコ踊っている。
彼女達の動きの滑らかなこと。
音楽を楽しむ方法を世界中の誰よりも知っている彼女達を
心底うらやましく思ってしまう。
It's in their culture...


「ずっと疑問に思ってることがあるんだけどサ・・・」
上下に揺れるニヴェアに耳打ちする。

「ブライアンて、ゲイ?」

大きなピアスを揺らして、爆笑するニヴェアを見ながら、
疑惑が確信に変わった。

赤いポロと、片耳に光るピアス。
MTVに出てくるダンサーみたいに踊りが上手な彼は、
さっきからフロア中の視線を釘付けにしている。
こっちを見ながら、肩をぶつけてくる彼。
ちょっと格好いいと思ってたのになぁ。

でもいっか!

だって今日は金曜の夜だから!



彼の黒く光る額に、汗が流れるほどに
金曜日の夜は更けていった。
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by akkohapp | 2005-06-06 00:20 | race and ethnicity
12日に書いた「その壁の向こうに」についてのコメント欄が、相当アツいことになっています。
元々あのログは完全に個人的な感情に基づいて書き連ねた
何の論理性もない、ある個人へのメッセージであったつもりですが
みなさんがコメントをくださったことから
性別や人種、民族を超えた、あるいはそれらの要素を超えることができない
個人のアイデンティティーについて深く考える良いきっかけとなったログとなりました。
本当にありがとうございます。

個人として、日本人として、アジア人として、国際社会で生きることについて深く考えさせられる
内容の濃いブログを執筆されているkei_dogさん、
ニューヨークのハーレムにお住まいで日々ニューヨーク特有の
「多様性」を肌を持って感じていらっしゃるliberulaさん、
そして大学でwhiteness(白人性)について研究を重ねていたsayaka(敬称略ね★)
それぞれの方がそれぞれの見地から国際社会で錯綜する個人のアイデンティテイーについて
コメントを下さりました。
お三方に心から感謝です。


これからもご意見、ご感想、お待ちしております。
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by akkohapp | 2005-05-20 00:01 | race and ethnicity