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読書感想文on 『飼育』and 『黒地の絵』

大江健三郎の「飼育」に続いて、松本清張の「黒地の絵」を読む。両方とも戦争っていう暗い時間の流れの中で「日本人と黒人」(この並列関係は正確ではないけれど、実際本の中ではそういう描かれ方をしている)が交わるべきではない方法で交わってしまって生まれた悲劇を描く。
「日本人」(国籍による括り方は文明、civil societyの枠の中で人間を区別する)によって描写される「黒人(人種による括りは、より生物学的で、動物的に人間を分別する)」はとても動物的で、肉体的で、官能的で、それ以上のものは微塵も存在しない。「飼育」では、村民によって「飼われる」ことになったアメリカ黒人兵の様子が、まさに飼育対象として描かれる。子供の視点から描いていることもあって、その子供が飼育している「動物」の前で「屈辱を感じる」のくだりが、捕らわれた兵士の人間性が微塵も存在しないことをよく表していて残酷だった。ニコールキッドマンが出ていた”Dog Ville”も、放浪していた美しい女を村人たちが飼う話だったけれど、そこにはまだ破壊されてゆく彼女の人間性が存在していた。屈辱を受け、酷い仕打ちを受けるだけの人間性を彼女は最初から最後まで保持していた。人間性があるから、屈辱を受け、酷い仕打ちを受けるのだ。そういうものが最初から存在しなければ、「それ」はただ餌を与えられ、糞尿の始末をしてもらうだけのものであって、「それ」以上の何でもない。「それ」は決して「彼」にはなり得ない。

戦争は、敵の人間性を消去して、物体化したり、動物化することで続く集団殺戮だけど、それだって「敵」というだけの人間性を相手は持っているような気がする。残酷なことをして苦しませようとする行為は、相手が感情を持っていて苦しむことを知っているからすることであって、そこで人間性を肯定している。

けれど、「飼育」の中で村に飼育される兵士にはそんなものが一切ない。本国の彼の出身地はどこなのか、兄弟はいるのか、恋人がいたんじゃないか、名前は、年齢は・・・そんなレベルで消去されてるんじゃない。彼は笑うだけで「驚愕」され、苦しむだけで「凝視」される対象でしかない。ここまで人間性が抹消されている理由は、やはりどうしても人種に還元されることで、もしもこの兵士が白人だったら、村人はそれを「捕虜」として「彼」として捕らえたんだろうと思う。この兵士が黒人だったから、そこに人間として持っているものがあるはずがない、ことを前提に村に「飼われ」たのだ。

「黒地の絵」は人間性のレベルについては「飼育」よりもずっと上だろう。けれど、やはりその対象が「黒人」だという点で、相手を動物化して描写することが容易になっているのが見て取れる。平穏に夏の夕餉を過ごしていた夫婦の家に、まさに野獣のごとく押し入ったアメリカ黒人兵士に妻がレイプされるところから物語が始まる。これが白人兵だったら、あんなに動物的で肉体的な描写はないのではないだろうか。

二編を読んで強く感じたのは、言葉が分からないこと、コミュニケーションが取れないことは、人間性を奪い取るに致命的な点なんだということ。もちろん、言葉以外にも通じ合うことを隔てる壁はいくらだってある。同じ国民、同じ人種、同じ言葉をしゃべっていても、つながれないことは多々あるし、悲しい歴史の中では、そういう同じ箱の中でも人間性を無視した殺戮が繰り広げられてきた。けれど、肌の色が違う、体格が違う、髪の毛が違う、臭いが違う、そして言葉が違う「何か」が目の前にやってきたとき、人はそれを「人間」と認識しない。それは何か他の「動物」であって、決して自分と同じ標準に立ちえるものだと感じることはない。

・・・そんな時代がたった60年前だなんて、ショックだ。
「黒地の絵」の舞台は小倉だった。1950年7月11日に起きた250名の黒人兵の脱走に伴った実話だ。父の実家のすぐそばであることがさらにショックだ。祖父母は恐らくこの夜のことを知っているのではないか。そう考えると落ち込む。だって、私にとってもう肌の色はその人を少しも定義するものではなくて、言葉を使ってお互いが考えることや感じることを交換して、それ以外の当たり前が存在しないくらい、そんな日常の中にいるから。けれど、きっと祖父母の世代では認識の感覚は恐らくあのころと一緒で、肌の色はその人の位置付けを決定するのに重要な要素なんだろうから。そして、きっとその位置付けの標準は、戦争のころの記憶に強く交わってる。

一方で、Markのscreen messageが”they lynched a black man in Carolina and they got fuckin 6 years?! That’s fuc*ed!!”ってなってる。何が起きたの?って聞いたらthey tried to hang a black kid って言った後に、I don’t want to talk about it reallyって言ったからok, I understandって言って会話をやめた。

グローバル化がすすんで、人権やら権利やら確立されてるみたいな今の時代に私がこの作品を読むと泣き叫びたいくらいショックを受ける。そうやって時間は流れて人と人のつながり方はすごく変わってきてるのに、今のアメリカではまだ60年前と同じ憎悪がどこかに流れてて、そこだけ時間の流れから疎外されているみたい。環境が人を変えるのか、人が環境を変えるのか、分からないけど、21世紀を一緒に生きているメンバーの一員として、その時代の恩恵を受けてない人たちを心から不幸に思う。恩恵ばかり与えてくれる時代じゃないからこそ、その恩恵を受けていない人を残念に思う。
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by akkohapp | 2006-01-20 01:29 | race and ethnicity