アメリカ大統領選挙が盛り上がっている。
メディアがこぞってとりあげるのは、民主党候補、
イリノイ出身のバラック・オバマ議員。
グローバルなバックグラウンドや、「変化」をスローガンに掲げた熱意あるキャンペーンで、
当初は予想だにされなかった支持率を得、
対抗馬のヒラリー・クリントン議員陣営をガケっぷちに追い込んでいる。
彼のスピーチを聞いていて、気がつくこと、
それは彼の話しぶりが政治家のそれというよりも
指導者のもののようだということ。
トップダウンの政策提示をするよりも、
この大きな変化の動きに、あなた方が必要だ、
これは私たちによる、私たちのための変化だ、と民衆に訴えかける彼に
公民権運動の先頭に立ったマーティン・ルーサー・キングの面影を重ねるのは
私だけではないだろう。
彼を見ていると、今ではズタボロに堕ちたアメリカの中に
かつて憧れた、若くて元気で前向きなアメリカを見る気がする。
単純かもしれないが、とにかく変化を、
今が満足ならないなら、それを変える、そして本当に変えてしまう、
そんな行動力やエっと目を見張るようなアメリカンミラクルを
肌の色や文化の違いを越えて、みんなが起こす・・・
初めてアメリカンスクールとやらに足を突っ込もうと決めた中学生のころは
きっとアメリカンスクールに行けば、国籍や外見の違いに関係なく
色んな友達ができて、ヘーイガイズ!と明るく笑い、ジーンズをはいてコーラを片手に
ショッピングモールに友達と映画を見に来る未来が手に入るだろうと思った。
そこには、差異を超えた自由と理解があり、違いこそを尊重しながら
ひとつ同じものを大切にする、桃源郷のような光が見える・・・・
ような気がした。
今思えばちゃんちゃら可笑しく、
もちろん、現実はそれにはるかに及ばず、結局言語コンプレックスに
悩まされ続けた3年間であっただけだった。
本場アメリカには、言語の壁以外にも、たった400年の歴史の中に
刻み込まれた人種間の葛藤や、新しい移民の流入により変わる社会構成、
広がる貧富の差に加え、国際テロや戦争という、
「ヘーイガイズ!+ジーンズ+コーラ+映画」論など
鼻息で吹っ飛ぶ問題が山積みだ。
が、それでもそんな中でも、あのバラバラで自分中心の軸が強い国民が
ひとつ共通のつかまるものを見つけ、ひとつの方向性を導きだそうとしている姿には
かつて私があれだけ憧れた
「ヘーイガイズ!+ジーンズ+コーラ+映画」の明るさが見える気がするのだ。
オバマは、生まれたころからコスモポリタンな環境で育てられているからだろう、
多様性の中で生きることをとても自然に、まるでそれを意識すらしていないかのように
体現しており、そのナチュラルさ、ニュートラルさこそが、
ヒラリーとの一番大きな違いであり、多くの若者を惹きつける点なのではないかと思う。
アメリカ人としてニューヨークに生まれても、既存のカテゴリーから抜け出すのは難しく
結局「~系アメリカ人」としての殻を破らずに生き、存在する多様なラインを
超えずに生きている人がほとんどだ。
その中でオバマは「アフリカ系アメリカ人」であることは全く全面に出さずに
どんなにアフリカ系からの支持率が高かろうと、中立的な立場から
統合された「変化」を説く。
これだけ多様化されたアメリカ社会の中で、
ひとつだけのグループに焦点を当てて政策を説くことは得策ではなく
バランスのとれた、そう、それこそ自然に体現されたような、
その人の人柄の中にこそ国民はアメリカの次なる時代を託したいのではないかと思う。
次は3月4日のテキサス・オハイオ戦。
しばらくCNNから目が離せない。